気韻生動を味わう
先日、ある美術館で日本画を見ていたときのこと。丹念に鳥の姿が描き込まれている絵を見て、「線が増えれば増えるほど、鳥の本質から遠ざかっている」と思った。だれの作品だったかは覚えていない。
その隣にある絵を見て、「!」となった。『草原の秋』と題されたその絵は、紅葉した葉とコスモスの茂みのなかにいる一羽の鳥を描いたものだが、まさしく自然界の一幅を写し取っていると感じた。鳥が生きているのだ!
札を見ると、上村松篁であった。その美術館は写真を撮ってもいいことになっているため、持っているスマホでパチリ。
その後、順に見ていく。好きな作品もあれば、そうでないものもある。絵画鑑賞と言ったって、だいたい個人の好みである。一定のレベルを超えたものは、ほぼ個人の好みに収斂される。
ところが、終わり近くに、全身が律動する作品に出合った。これは個人の嗜好を超えている、と思った。それが右上の作品である。
山口蓬春の『秋香』。
得も言われぬ品格が漂い、観る者の目から心の裡にすーっと入ってくる。
この静物画に千古不易の真理が表現されていると思えたのだ。いや、理屈ではない。ただ直感的に、清涼な気韻が私の体を突き抜けたのである。
安田靫彦は弟子の小倉遊亀に「ひたすら一枚の葉っぱを描きなさい。一枚の葉っぱが描けるようになれば、宇宙のすべてが手に入ります」というようなことを言った。この世の万物は相似形をなしているから、まずはなんでもいいから、ある物の本質を徹底的に描くということであろう。
人はなぜ、美術館へ足を運ぶのか。端的にいえば、日常ではなかなか得られない感動を求めるからであろう。
人は美しいものを見たり聞いたりすると感動する。それは気(生命の流れ)と韻(リズム)が躍動するからでる。それを「気韻生動」という。山口蓬春のその絵は、まさに気韻生動の波動を発しているように思えた。そのような邂逅は、年に数度あるかないかだ。そういう体験をしたあとは、しばらく心が爽快になる。
いままであまり気に留めていなかった山口蓬春ではあるが、一気に「気になる存在」になった。
(220929 第1193回)
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