大久保サァに会って背筋を伸ばす
連日、キックバック(裏金)のニュースばかりでうんざりしているが、いつからこの国の政治家は矮小化が始まったのだろう。
日本には長い歴史があり、それに伴って長い政治史がある。そのなかで双璧だと思っているのが、徳川家康と大久保利通である。
二人は時代に要請された人物であろう。片や戦国時代から江戸の泰平の時代へ至る道筋をつけた人、片や幕末の争乱期を経て内憂外患に直面しながら近代国家の礎を築いた人。いずれも、とんでもない争乱の世を経験した人である。
ときどき、そういう偉大な人物の魂に触れたいと思う。
大久保公の墓は青山墓地にあるが、紀尾井坂下の清水谷公園に哀悼碑がある。そこを訪ねた。明治6年、大久保は下手人に暗殺されるが、その現場にほど近いところにある。
大久保は内務卿の他、主要な実権を一手に握っていた。死んだとき、いったいどれほどの蓄財があったのかと国民は関心をもったが、蓋を開けてみれば貯金はちょぼちょぼ。替わりに莫大な借財があった。
というのも、国の予算が足りなかったため、いくつもの公共工事を自分で借金して推進していたのだ。福島県の安積疏水もそのひとつ。そのため、福島県民にとって薩摩の大久保は不倶戴天の敵であったはずだが、大久保神社なるものまでできた。まさに無私の精神を貫いた大政治家であった。
さすがに借金を遺族に負わせるのは酷だということで政府が帳消しにしたという。
園内はみごとに紅葉している
いい空気だなあ
(231216 第1202回)
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