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紺碧の将

サラダに虫一匹と娘

2012.10.06

 今春、大学生になったばかりの娘とときどき酒を飲む。と書くと、いかにも未成年に酒を飲ませていると思われるかもしれないから、実際に娘が何を飲むかは書かないことにする。
「え? 高久さん、娘さんがいたんですか。そんなこと言って、ほんとうはよその家の娘さんじゃないんですか」と言われたことがある。あまりにも生活感がないので私が独身だと思っている人がいるようだ。まして、娘がいるなど想像もできないらしい。
 たしかにときどきよその家の娘さんと飲むこともある。しかし、私にもレッキとした娘がいる。私の遺伝子を引き継いでいるであろういくつかの兆候も確認することができる。姓も私と同じ「髙久」だ。
 先日、銀座一丁目のイタリアンに行ったときのことだった。サラダを食べているとき、小ぶりなレタスの葉を裏返すと、体長1センチくらいの羽が生えた虫がいた。もぞもぞと動いていたので、盛りつけの後かあるいは食べている間に飛んできてまぎれこんでしまったのだろう。
 私は虫をつまみ、上から濡れタオルをかぶせ、全部たいらげた後、いちおう虫がいたという事実は伝えた方がいいだろうと思い、ウェイターにそう伝えた。
 すかさず店長らしき人がやってきて、平身低頭しながらお詫びの言葉を述べてくれた。
「虫はどこにでもいます。大丈夫ですよ、気にしていませんから。ただ、お伝えした方がいいと思って……」
 実際、そう思った。虫一匹くらいで大騒ぎすることはない。いっしょに調理された虫を食べてしまったのならともかく、ただサラダの間に虫が一匹紛れ込んでいただけのことだ。
 お互い、お腹が空いていたのでその後も大いに食べ、大いに飲んで(しつこいようだが、娘が何を飲んでいるかは書かない)、大いに喋った。気がつくと10時をまわり、私はウェイターを呼んでチェックをしてほしいと伝えた。
 すると、再び店長がやってきて、「今日はたいへん不愉快な思いをさせてしまいましたので、お代は結構です」と言う。
 そういうつもりで言ったわけではないので食べたものはきちんと支払いますと何度も言ったのだが、頑として受け取らない。
 なんとなく気の毒なことをしてしまったと悔やんだ。おそらく「虫一匹くらい」でおおげさにクレームをつける人が多いから、そういうことになるのだと思う。店の対応は申し分ないほど素晴らしかったが、どうにも腑に落ちなかった。だって、たかが虫一匹だよ。
「虫くらいなんてことないよ。われわれは無菌室に生きているわけじゃないんだから」
 そう言うと、娘は納得していた。ついでにこうも言った。
「少しくらい悪いものを食べることも大切だ。じゃないとばい菌に対する抵抗力がなくなってしまう」
 すると娘は、「この前、悪くなっていた牛乳を友だちと飲んだら、二人とも下痢したよ」と言って笑った。
「そうそう、それでいい。でも、あまり腐臭のひどいのはダメだ。そこはちゃんと自分で臭いを確かめて判断するんだぞ」
 今、多くの日本人が、賞味期限なるものに振り回され、自ら抵抗力を少なくしているが、あんなものを盲信するのは愚かなことだと思う。いったい、何のために鼻というものがついているのだ?
 ところで、そのレストランは多店舗展開をしているが、料理もサービスもかなり工夫をしていて、お気に入りである。新宿御苑前と銀座一丁目の店舗をよく使う。会社の方針なのか、チャラチャラした若い女の子ではなく、よく教育されたギャルソン(男性給仕)が多いのも好感がもてる。ちょっと年期の入ったヨーロピアン風の店舗も、よくぞ見つけたなと感心する。本来なら、名前を明かしたいが、なんらかの迷惑がかかるといけないので伏せることにする。

 つい数年前まで無邪気そのものだった娘といっしょに酒を飲むようになってしまったと、妙な感興がわいてくる。小学高学年の頃までは「ファザ子」と周りから揶揄されるほど私にベッタリで、どこへ行くにも金魚の糞のようについてきた。頻繁に国内外への旅をし、その都度、学校を一週間くらい休ませていた。本人は覚えていないかもしれないが、そのときにとことん話したことは彼女の血肉になっていると信じている。
 やがて思春期を迎え、ほんの少し、反抗的な態度になった。とはいっても、あからさまな反抗的態度をとることは許されないとわかっていたらしく、自分なりに精一杯の反抗にとどまっていたが……。周りの人たちからは、「寂しいでしょう?」と言われたが、私はこれで “ストーカー” から解放されると、安堵の気持ちも半分くらいあった。
 その後、一定の距離を保ちながらなんとなく時間が過ぎ、高校受験のときに英語を教え、大学受験のときに日本史を教えたあたりから再び親密な関係に戻った。
 とはいっても、子どものときの無邪気な子ではなくなっている。あの子はどこかへ行ってしまい、かわりにちがう娘が目の前に現れたかのような不思議な感覚だ。ただし、さまざまな記憶を共有しているという点が、まさしく親子であるのだが……。
「学生の本分は、“学べ、遊べ、本を読め” だ」と何度も説諭したが、どうやら2番目の項目だけ一生懸命で、それはいまだに変わらない。よくもまあと思うくらい、朝から晩まで友だちと遊んでいる。しかし、今は遊べない子どもが増えているので、それはそれでいいのかもなあと思うのである。
(第372回 写真は、今年の4月、娘の入学式の日の風景)

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