厚くて重い本を読む旅
『紺碧の将』を出してから、さまざまな反応がある。概ね、戸惑いが多いようだ。なにしろあの厚さ。最初に見た瞬間のけぞり、読む気がしなくなるという人がいる一方、今どき珍しい本らしい本で読み応えがありそう。気を引き締めてがっぷり四つに組んで読み進めますという人もちらほら。割合としては、前者の方が断然多い。
世の常識は、売るために(買ってもらうために)ハードルを下げること。本でいえば、移動中も読めるようにハンディーにする、軽くする、薄くする、価格を抑える……などであろうか。しかし『紺碧の将』はその真逆をいっている。厚くて重いから持ち運びには適さない。750ページの割に価格を抑えているとはいえ、一冊あたりの価格として2750円はけっして安くはない。
読了した人はまだ少ないが、私に寄せられたコメントはすべて好意的なものばかりだった(わざわざ著者に批判的なコメントを送る人もいないだろうが)。ただ、「面白い!」という人でさえ、「重すぎて、読んでいるうちに肩が凝る」と訴えてくる人もいる。つくづく時代に逆行する本をつくってしまったと思っている。とはいえ、反省の色はまったくない。時間をかけて、そういう本を由とする人に出逢えばいいと思っている。
ところで、人に大変な読書を強いてばかりではいけないと思い、久しぶりに分厚い本に挑戦している。それが写真の本(集英社ギャラリー[世界の文学]18 アメリカⅢ)。収められているのはソール・ベローの「その日をつかめ」、ジェームズ・ボールドウィンの「ビール・ストリートに口あらば」、ジョン・バースの「酔いどれ草の仲買人」。
この書物は全20巻のうちの一冊。リビングルームのテレビの裏側にネコたちが入らないようバリケードを築いているのだが、そのブロックのひとつとして使っていた。たまたまいちばん上にあったから、これを選んだ。
本文は26字×24行で2段組。ということはページあたり1248字。そのうえ全部で1270ページもある。
読み始めてから、高校時代、文学全集の大著に挑戦していた頃を思い出した。おそらく私という人間の基礎はその頃に形成されている。知らない世界に誘われるのは今も昔も同じように心地良い。そう、ちょうど『紺碧の将』の由本小太郎のように。
思えば、まだ読んでいない本が数百とあり、今後1冊も買わなくても死ぬまで楽しめるだろう。再読したい本も山ほどあるし……。
次作の構想はすでにあるのだが、しばらく着手するつもりはない。まずは読書で足腰を鍛錬したい。
本の上部にはこのように山本容子氏の鳩の絵が印刷されている。お洒落!
字組はご覧のとおり。紙は裏面が透けているくらい薄い
(240330 第1216回 化粧箱の絵は山本容子氏の作品。祝祭的でいい)
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