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紺碧の将

バカげた侵略戦争をいまに伝える地

2024.06.15

 拙著『紺碧の将』でも、肥前名護屋城が秀吉の朝鮮出兵の拠点だったと書いている。ただ、いかんせん場所が遠く、現地を見ていなかった。その他の大半は現地を見て歩き、リアリティーをつかんだ上で書いたつもりだが、そのため名護屋城はどうもピンとこなかった。

 今回、現地に訪れ、ようやく実感がつかめた。なるほど、この場所から朝鮮半島は近い。

 司馬遼太郎が、戦国の三傑(信長・秀吉・家康)をひとことでいえば、というようなことをなにかのエッセイに書いていた。それによれば、信長は芸術家、秀吉は政治家、家康は高級官僚だった。

「えー!!!」と声が3回転くらい裏返った。人の見方はこうも変わるものかと。

 信長はたしかに芸術的感性が豊かな人だったとは思うが、芸術家にはほど遠い。彼は正真正銘の革命家だ。

 秀吉が政治家という見方にはさら驚いた。司馬さんは23歳の頃、終戦を迎え、「なんてバカなことをする国に生まれたのか」と思い、それが小説家になる原点だったという。そういう人が、秀吉を政治家と見ていることに驚きを禁じ得なかった。関白になるまでの秀吉は才気煥発でじつに魅力に富んだ人物だが、彼の行った政治は、日本史史上、ワースト3に入るほどひどかったと私は思っている。だから『紺碧の将』では丸ごとひとつの章を費やして秀吉政治について書いている。とりわけ朝鮮出兵はどれほど愚かなことだったか。膨大な人を殺し、金銀を無駄に使った。

 私は、秀吉は起業家だと思っている。

 そして家康こそ政治家であろう。高級官僚があれほどの大業を成せるはずがない。

 

 さて、名護屋城跡はいまもきちんと残されている。城域は広く、15万人以上収容できたということがわかる。城の周りには大名屋敷跡があちこちにあり、どれほどの大名が大軍勢を引き連れてここに集まってきたかがわかる。

 ほんとうにバカげた侵略戦争だった。結局、この戦さによってなにも得るものはなかった。まさに、「兵(つわもの)どもの苦しみの跡」である。

 

名護屋城近隣図。前回紹介した七ツ釜も近い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

屏風に描かれた名護屋城

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

石垣跡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなに広い天守閣跡は見たことがない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天守閣跡から周囲を見る

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天守閣跡に残された礎石

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(240615 第1226回)

 

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