書物はなにかを得るためだけにあらず
NHKのEテレで「理想的本箱」という番組が放映されている。3人の本好きが毎回3冊の本を紹介するというもの。「映像の帯」と題し、本の概要をショートムービーで表現したりと新しい趣向を凝らしているが、どの本もそそられない。「悩める若者のための」というサブタイトルがついているように、悩み多き若者がなんらかの答えを得るために最適の本という選び方をしているのだから私の好みと合わないのは当然のこと。私に悩みはあまりないし、もちろん若者でもない。
ただ、いまはそういう人間でも、若いときはそれなりに悩みがあった。むしろ悩みだらけだったといっていい。それでも、それらを解決するための答えを本から得ようとは豪ほども思わなかった。
いま、11歳のときに読んだD.H.ロレンスの『息子たちと恋人たち』を読み直している。2段組で細かい文字がびっしり。ロレンスは、あの『チャタレイ夫人の恋人』の作者である。
この本は65歳になったいまでも読み応えがある。どうして10歳のとき、この本を買いたいと思ったかといえば、ただただ知的好奇心ゆえである。それを読んでなにかを得ようとは思わなかった。そういう読み方はそれ以降ずっと変わっていない。
いま、新刊のほとんどはハウツーものか情報もの。そういう本を読んで、ほんとうになにかを解決できるのかと素朴な疑問を抱く。以前、何百冊も自己啓発本を読んでいた人と話したことがあるが、その人の人生はまったくうまくいっていなかった。
「人はパンのみにて生くるものにあらず」(Man does not live by bread alone.)
いい言葉だと思う。聖書の一節らしいが、人は物質的に満足すればいいというものではなく、精神的に満たされることを求めて生きる存在であるという意味で使われている。
本こそそういう存在であってほしい。
(240708 第1229回)
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