見えないときは想像する
恒例夏の登山、今回選んだのは蔵王山。いちおう日本百名山のひとつである。
槍ヶ岳から始まった私の登山歴。はじめの頃、3000m級の山々を登ったが、近年は楽な山ばかり選んでいる。しんどくなってきたというのもあるが、山小屋に泊まることが苦痛になってきたというのも理由のひとつ。
蔵王の「お釜」は何度も写真で見ていたが、一度はこの目で見たいと思っていた。しかし、今回ばかりは山の神さまも願いは聞いてはくれなかった。ドッコ沼あたりは晴れ渡っていたのに、刈田あたりに近づくと濃い霧がたちこめ、数メートル先も見えないほど。おまけに突風が吹いてきた。転がされてお釜に落ちてはかなわない。やむなく断念した。
ま、こういうこともある。濃霧のなかの蔵王・馬の背。そこに「お釜」があるとイメージしながら歩いただけでもいい体験だった。
霧しぐれ 富士を見ぬ日ぞ おもしろき
芭蕉もそう言っている。見えなければ想像できる。それはそれで面白いのだと。
その後、山寺の愛称で知られる立石寺へ。こちらは2度目である。
数メートル先が見えない
晴れていれば、こんな風景が
立石寺、途中の崖。奥の院まで1015段の階段が続く
てっぺん近くにある開山堂
五大堂からの風景
五大堂にはこんな注意書きがいくつもあるが、落書きだらけ。日本語もたくさんある
山門付近でくつろぐネコ。人が近寄っても怖がらず、優雅なもんです
(240803 第1232回)
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