世界と世間を広げる
つくづく思う。世界と世間を広げることが大切だと。
この場合の「世界を広げる」とは、訪れたことのない地に行く、初めて体験する、知らなかったことを知るなど、それまでの自分になかったものに触れ、自分のなかに落とし込み、蓄えること。「世間を広げる」は、人との新たな出会いをつくること。いずれも、歳を重ねるたび人はそれらが億劫になり、自分を狭量にしていく。
雑誌媒体を発行していた頃とは比べ物にならないが、私はいまでも世界と世間を広げている感がある。それはもちろん、自ら求めているからである。
仕事で神戸を訪れた翌日、大阪に一泊し、堺市の「さかい利晶の杜」、大阪南部の住吉大社、そして京都北部の神護寺を訪れた。
さかい利晶の杜はその名のとおり、堺出身の二人の著名人、すなわち千利休と与謝野晶子を顕彰する施設である。
利休の人となりについてはさまざまな書物である程度は知っているつもりであった(もちろん謎の部分も多い)が、それでも初めて知ることがたくさんあった。
与謝野晶子については、彼女の経歴を紹介したNHKの番組を見て興味をもった。10人以上の子を育てながら筆一本で窮屈な時代を生き、女性の自立を訴えたところが素晴らしい。しかも、その自立の仕方が自分本位ではなく、夫などパートナーと相補って自立するというもの。現代であれば当たり前のことだが、当時はかなり先進的であった。
神護寺は今年の夏、東京国立博物館で神護寺展が開催されていたことで、いつかは行ってみたいと思っていた。
京都の中心部からバスで1時間弱、山深い高雄山エリアにある。和気清麻呂によって建立され、国宝8点(だったかな)を有する。なかでも教科書でお馴染みの「伝源頼朝像」は有名。空海が催した灌頂(かんじょう=修行の一種)に参加した人のリストである灌頂暦名も国宝だが、興味深いのはそのリストの真っ先に最澄の名が書かれていること。最澄は空海に学んだ時期もあったのだ。
いろいろなものを見聞し、いろいろな人に会う。大事なことは、それまでの自分にはなかった美観や世界観、そして異なる考え方の人を知ること。いつも同じところで暮らし、いつも同じ人とばかり会っていると、必ず頑迷固陋になる。世界と世間を広げることは、長生きが当たり前になっている現代、いい人生をおくるキーポイントだと思っている。
さかい利晶の杜の外観
『みだれ髪』の初版本。絵はなんと藤島武二
さかい利晶の杜の向かい側に利休の屋敷跡がある
神護寺山門
「伝源頼朝像」
「灌頂暦名」
(241123 第1247回)
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