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紺碧の将

アート・オブ・ライフ(Art of Life)

2024.11.30

 どういう生き方をしたいか、はっきりと決めている人はどれくらいいるだろうか。

 

 あるとき、これから自分がどういう生き方をすればいいのか、明白に決めたいと思った。なぜなら企業理念を再構築し、それに則った行動規範を明文化するというような仕事を請け負っていながら、一人ひとりはそういうことに意識が向いていないことに気づいた。個人もそうあるべきだと痛感したからである。本来、こんなことはあえてブログなどで明らかにするべきものでもないが、考え方が近い読者にヒントのひとつにでもなればとの思いを込めて書いてみることにした。

 私は、深く考えるまでもなく「アート・オブ・ライフ」(Art of Life)と決めた。日々の生活そのものがアートのような……、そんな人生を送りたいと思った。物心ついてからずっとそれに近いことをしてきたが、あらためてそう意識することによって、日々の行動の優先順位がはっきりする。つまり、自由になる時間とコストをためらうことなく「アート・オブ・ライフ」に費やすということ。神が創った自然(Nature)に対して、人間が創った美(Art)を堪能しながら自分を分厚くする。

 では、アートとはどんなことをいうのか?

 私の定義は、美しいもの・それに触れると心持ちがよくなるもの・洗練されたもの・人に歓びを与えるもの・人を勇気づけるもの……などである。とりわけ何十年・何百年・何千年と時の荒波に耐えて残っているもの(仮にクラシックと名づけておこう。音楽の話だけではない)は本質の塊である。悪かろうはずがない。反対に醜悪なもの・鬱屈させるもの・目先の損得にとらわれること・人を誹謗中傷するもの・人を貶めるもの……などはその対極ということになる。

 なにごとも、まずは足元を固めることが先決だ。前回、「世界と世間を広げる」というテーマで書いたが、自身の足元が固まっていないうちに成果を求めるのは、絵に描いた餅を食べようとする行為に等しい。自分に合った食を探り、生活のリズム(ルーティン)をつくり、身体を整え、愉しく学び、過度な(理不尽な)ストレスは極力なくすよう心がける。

 また、アートを標榜する以上、住まいが散らかっているのは論外である。汚いところに神は降りてこない。つねに清掃と整理整頓を心がける。物のひとつひとつにまで意識を向け、選別する。まがい物を置くくらいなら何も置かない方がいい。そんなことを心がけ、コツコツやっていくと少しずつ成果が現れてくる……のではないか。

 

 ところで、私の精神状態がすこぶるいいのはSNSをいっさいやっていないからだとも思っている。なかにはいい情報もあるのだろうが、それを得るため、とてつもない量の邪悪な情報に触れるのは本末転倒だ。

 今年のメジャーリーグのワールドシリーズ最終戦の最中、私は小娘とバスで神護寺へ向かっていたのだが、戦況を知るため、X(旧ツイッター)を頼った。刻々とアップされるツイートを娘から聞いて驚いた。大谷が凡退したときの罵詈雑言に。あれほどの実績をあげた選手でさえ、まるでボロ雑巾のように書かれる。書いた主はもちろん匿名である。卑怯で下劣でクズである。来る日も来る日もそんなものを読んでいて、アタマが変にならない方がおかしい。

 そう思っていると、オーストラリアが16歳未満のSNSを禁止すると決めたというニュースが伝わってきた。

 やるときはやるじゃないかオーストラリア!

 それによってどう変わるだろう。もちろん100%良い政策も100%悪い政策もない。しかし、弊害が目についたら、対処するのが政治の基本だろう。スウェーデンが電子教科書から紙の教科書に戻したように、行き過ぎた電子化やSNSはどこかで制御しなければならないのでは?

 これは壮大な社会実験であり、その先鞭をつけたオーストラリア人に敬意を評したい。

(241130 第1248回)

 

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