こだわらない夏
世間では「猛暑だ猛暑だ」と大騒ぎしているが、私はあまり気にならなかった。というよりも、「自分は夏が好きだ」と思い込んでいるようだ。しかし、あらためて考えてみると、やはり夏はこたえる。
思えば、若い頃から夏を苦にしない男だった。
30代の頃は、炎天下、自宅の近くの陸上競技場の周りを走るのが好きだった。スタンドの周りは800メートル前後あるだろうか。そこを一周90%くらいのスピードで走り、次の一周をゆっくり走る。それを6回も7回も繰り返すというインターバルトレーニングなんかもしていた。途中、なんでこんなに苦しい思いをするのか? と自分に嫌気がさしたことも数知れず。目標の距離を走り、冷凍庫でキンキンに冷やしたビールを飲むのがなによりの快感だった。やはり炎天下、ロードレーサーに乗って、アップダウンの烈しいコースを走るのも好きだった。今、それと同じことをしたら、まちがいなく熱中症で倒れ、救急車の厄介になるだろう。
また、当時は夏でもスーツにネクタイ、上着を着用していた。半袖シャツは公務員か銀行員のためにあるものだと思い、頑なにそういうスタイルで通した(公務員と銀行員の方々、ゴメンナサイ。あまり他意はないのです)。が、今はラフなスタイルで通している。それどころか、原稿書きなどでカンヅメになるときは半裸状態、まさに裸族のいでたちである。
「夏は暑くて当たり前」というキャッチコピーを入れた暑中見舞いをわざわざ送りつけたこともある。受け取った人からすれば、「おまえ、ケンカ売ってるのか!」という心境になったにちがいない。今はお利口さんになったので、そんな無謀かつ失礼なことはしない。
そういう、夏の暑さをもろともしない男だったが、今年の夏は今までになくダレた。休日ともなると何もやる気がなく、一日中トドのようにゴロゴロしていたこともあった。眠っても眠ってもいくらでも眠れるという日が何日かあった。毎日、ビールを飲み、ZAZやブルース・スプリングスティーンの『Working on a dream』やボブ・マーリィをダラダラと聴いていた。本を読むスピードもガクンと落ちた。
以前を「こだわりの夏」と銘打ったとすれば、今は明らかに「こだわらない夏」。では、どちらが性に合っているかといえば、おそらく後者だろう。案外私はグータラに過ごすことも好きなのだ。やるべきことがあるからやっているだけで、そういうタガがはずれたら、かなり怠惰な人間になっていると想像がつく。
今回のテーマとは少々ずれるが、座右の書のひとつ『ラ・ロシュフコー箴言集』に次のような言葉がある。
──人は決して自分で思うほど幸福でも不幸でもない──
案外、そうかもなあ。
(120828 第363回)