神頼みはしない
1月、宇都宮の多氣不動尊にお参りした。多氣不動尊については、このコラムでも「MY 神サマ」というタイトルで書いている。
とは言え、私は神頼みはしない。大晦日恒例の明治神宮参拝もそうだが、願いごとをする替わり、息災に過ごせたことに感謝する。
拙著『なにゆえ仕事はこれほど楽しいのか』にも書いたが、私は信心深いのかどうなのか、自分でもわからない。特定の宗教に帰依しているわけではないし、ゲン担ぎもしない。自分の厄年がいつなのか、いっさい知らないままこの歳になってしまった。自分には「人事を尽くして天命を待つ」の方が神頼みより合っているような気がする。
しかし、この世を司る何者か(村上和雄氏はサムシンググレートと言った)の存在は信じている。どう考えても、そういう存在を抜きに、この世の秩序は考えられないのだ。多くの科学者が研究の果てに、神秘的な思考にたどり着くというのはじつに納得できる。宗教学者の山折哲雄は「日本の豊かな自然は人間をその懐に包みこんで、神や仏といった人間を超えた存在を感じさせる力を持っている。日本人は、唯一の超越的な神を信じる一神教を求める必要はなかった。多神教が感じる宗教だとすれば、一神教は信じる宗教だと言える」と書いているが、その通りだと思う。
ところで今回は参拝の後、少し足を伸ばして多氣山の頂上まで歩いた。多氣城は平安時代末期からある山城である。たかだか377メートルの頂上ではあるが、そこから宇都宮市街が眼下に見渡せた。
(250202 第1257回)
髙久多樂の新刊『紺碧の将』発売中
https://www.compass-point.jp/book/konpeki.html
本サイトの髙久の連載記事