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紺碧の将

退却する勇気

2007.08.13

 昨年、なにも知らないでノコノコついていって槍ヶ岳に登ってしまったことは『fooga』ですでに書いた通りだ。

 あのとき、日常の生活ではけっして味わえない肉体の辛さと引き替えに凄いものを見てしまった。頂上から見る北アルプス連峰は、まさに神々の棲む別世界だった。どうして多くの登山家が身の危険をかえりみず山に登るのか、わかったような気がした。

 あの感動が忘れられなくて、今年も挑戦した。今回は北穂高岳。槍ヶ岳よりちょっと低いが、それでも3000メートルを超える急峰だ。

 しかし、結論から先に書けば(じゃないといつもの癖で長い文章になってしまうので)、今年は急峻な頂を下から眺めただけで登頂は叶わなかった。登頂予定当日の朝、台風の影響で、雨とガスに見舞われていたのだ。

 最初の宿泊地・涸沢ヒュッテまでの道のりは楽ではなかった。歩き始めて早々に右足踵にマメができ、一歩歩く毎に痛みが増した。そうなったらテープを貼ろうがあまり効果はない。雪渓を歩くのも難渋した。滑りやすい上、体重のおきどころがわからなくて気がついたら体力を消耗している、というイヤらしい虐められ方なのだ。スキーをやっている人はもう少し雪の処し方がわかるのかもしれないが、スキー歴1回という私にとって雪はかなり厄介なシロモノだ。

 それでも歩き始めて7時間半後、目指す涸沢ヒュッテに到着した。あの瞬間の開放感は、それまでに蓄積した疲れを知らずには理解できるはずもない。

 さらにデッキで飲むビールの旨さといったら! 周りは奥穂高岳、北穂高岳、前穂高岳ととてつもない山が取り囲んでいる。

 徐々に気温が下がるのを感じながら、衣を重ねていく。太陽が落ちるときに映し出される自然の変化をどのように形容すればいいのだろう。言葉というのはつくづく無力だなと思い知らされる。

 やはり無理をしなくて良かったと思う。下界に戻り数日経った日の新聞に「北穂高で2人滑落死」という記事が載っていた。いずれもビギナーではなさそうだ。ふだんは優しい山もいちど牙をむいたら容赦はしない。退却する勇気の大切さは、幾多の兵法をひもとくまでもなく古今変わらないのである。

 また、右足踵のマメは直径4センチ以上に膨れ上がり、破裂したところからばい菌が入ってしまったみたいで、帰路猛烈に痛み始めた。帰宅して後、針でむりやり皮膚を剥がし、そこに消毒液をジャブジャブ流し込んだ。化膿したらエライ目に遭うことは明白だから。タッチの差で化膿を免れたが、踵に日の丸をつけて歩くような状態になってしまった。

(070813 第2回 写真は、涸沢山荘と北穂高岳)

 

 

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