惰性の罠からの脱出
一年を振り返って、「今年は今まででいちばん良かった」と思えるような人生を歩みたいと思っている。事実、今までは、そういう人生であった。だから、過去に戻りたいという願望はみじんもない。まして10代や20代に戻りたいなど思うはずがない。
それと同じように、『Japanist』も毎号、「今回がいちばん良かった」と思えるようにしたいと思って取り組んできたが、残念ながら今回はそう思えない。読者の皆さんの手元に届く前に、編集責任者がこんなことを書くのは背信行為にちがいないが、正直な胸の内を明かせばそういうことだ。
個々に見れば、きらめきを発する記事も少なくない。手前味噌ながら、はじめから終わりまで丹念に読めば、何度も感嘆するはずだと思っている。「今までのものと、どこが違うの?」と思う方もいるかもしれない。
でもなあ、なんというのか、金属疲労が目立ってきた感がする。さらにいえば、惰性の罠に落ちている。これはすべて私の責任である。
今回を大いに反省し、次号はさまざまな改造を施したい。特にビジュアル面では、大手術をするつもりだ。もちろん、編集主旨を曲げるようなことはしない。
自分で言うのもナンだが、1円ももらわずに続けている仕事だ。他の雑誌と明らかに一線を画すものを作らなければ、続けている意味がない。ただの自己満足ほどかっこ悪いものはない。修復不可能の状態に陥る前に自分で気づいて良かった。
一期一会、その言葉の意味を肝に銘じ、もう一度魂を吹き込みたいと思う。
吉日は心のままに訪れる 淳風乱風上るも下るも
(いい日かどうかは自分の心のもちようである。澄み切った風の日も乱れた風の日も、人生上り坂のときも下り坂のときも)
(130125 第397回)