たった今、この瞬間を生きる
次号『Japanist』の「美術散歩」では、書家・酒井真沙氏をご紹介する。以前、発行していた『fooga』2003年2月号の特集記事でも紹介したことがあるが、ほぼ光を失いながら、いつも前向きに独自の作品を書き続けている方である。
酒井氏の最近の動向については、昨年のブログでも書いた通りだ。そのときのタイトルは、「虚栄心から解放されるということ」。
https://www.compass-point.jp/blog/page/5/
過日、栃木県大田原市のご自宅へお伺いし、最近の作品をひとつ購入させていただきたいとお願いした。最近の作品の円熟ぶりは、ナマハンカな言葉では言い尽くせない。ぜひ、生活空間に置いて共に暮らしたいと思ったのだ。
酒井氏は「遺作展のときは貸し出してくださいね」と笑いながら快諾してくださった。どれでも好きなものを、ということだったが、迷いに迷って『而今』にした。ヨコ1800mm、そこそこの大きさである。
而今(※にこんと読む)とは、禅の言葉である。たった今を大切にして生きる、とでも言おうか。
人はえてして過去や未来に執着をもつ。過ぎ去ってしまったことにあれこれ後悔したり、まだ先のことなのに要らぬ心配をしたり……。人はなんと無意味な妄念に煩わされているのだろう。
結局、人を含め、あらゆる生き物は、「たった今」以外を生きることはできない。こうしている瞬間もすぐに過去のものとなり、「今」は次々と現れるが、また過去のものになる。その連続性の中で、生きているのは「今、この瞬間」のみ。
酒井氏の『而今』の、作為のない無邪気さを見よ。今年米寿とは思えないほど、天真爛漫で恬淡としている。ほとんど視力を失っているゆえ、ご自分で書いた作品を見ることはできないというが、心の眼で見ているにちがいない。
どうしたら、こういう作品を生み出せる境地になれるのか。もし、そういう質問をしたら、おそらく酒井氏は「ハハハハハ」と呵々大笑するだけだろう。
(130513 第423回 写真は酒井真沙氏作『而今』)