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紺碧の将

酒は百薬の長

2013.06.06

甚内酒器 食べ物と健康に関する本を片っ端から読んでいる。と書くと大げさだが、最近その手の本を読むことが多くなったことは事実。

 それらの本に共通して書かれていることは、「酒は百薬の長」だということ。飲み過ぎさえしなければ、お酒は体にいいという。

 たしかに!

 『Japanist』17号でご紹介した小児科医の真弓定夫医師(82歳)は、中学時代から65年間、毎日酒を飲んでいて、その間、医者にかかったことは一度もないという豪傑だ。「中学時代から」というところがいい。未成年の飲酒は法律違反なのであまりおおっぴらに書けないが、私は一人娘が高校の時から飲酒を薦めていた。悪い父親なのだ。

 「酒は百薬の長」とは文字取り解釈すれば、あらゆる薬のなかで最良だということ。もちろん、この場合の「酒」とは日本酒のことであり、当然のことながらアルコール添加されていない純米酒である。

 「飲み過ぎ」の定義についてもほぼ同じように書かれている。つまり、ほぼ2合まで。これは納得できる。私も毎晩、純米酒を飲んでいるが、2合くらい飲むと、おのずと体が「もういいよ」とシグナルをおくってくれる。ちなみに、20代から30代はウィスキー派(特にバーボン)だった。40代はフレンチやイタリアンが好きだったので、ワイン派だった。いずれの時代も最初はビールから入ったが。酒ならなんでもいいかといえば、そうではない。カクテル、焼酎はほとんど飲まない。中華があまり好みではないためか、紹興酒はまったくダメだ。

 

 さて、なぜ、酒が体にいいのだろう。案外、簡単に説明がつく。まず、リラックス効果があること。心身が適度にゆるむので、血行が良くなり、栄養分が体の隅々に行き渡る。また、体温が上がり、免疫力も上がる。なにしろ、すべての病気の原因は血液の汚れにあり、というのが東洋医療の考え方の基本だ。

 考えてみれば、日本酒が体に悪いはずがない。原料がコメであり、しかも発酵させているのだから。ワインは少し飲み過ぎると酸化防止剤が災いしてか、悪酔いして翌日に残るが、純米酒はちょっとくらい飲み過ぎても翌日スッキリしているのもうなづける(世間の常識は正反対だが)。

 日本酒の楽しみは、それぞれの土地に特有のお酒があるということ。日本の国土は狭いが、気候風土はじつに多彩。それがゆえに食文化もおのずと異なっている。明治になるまで、自由に往来できなかったことも多彩な食文化を生んだ要因だろう。だから、それぞれの土地柄に思いを馳せ、じっくり味わうのも一興だ。

坂田甚内 黒陶金のぐい呑み さらに、お酒にはもうひとつ、極上の楽しみがある。酒器が多彩であること。私は陶器が好きだが、ガラスも悪くない。

 なんといっても大好きなのは、坂田甚内氏の作品。本人がかつて大がつくほどの酒豪だったので、酒飲みの胆がわかるのだろう。酒気とお酒が絶妙に生かし合っているのだ。

 私は氏の酒器を10個くらい所有しているが、いずれも甲乙つけがたい。特に右上写真の酒器(ほんとうは小鉢なのだが)がもっともお気に入りだ。右側の平べったいところを右の人差し指と親指ではさんで持ち、昔の武将のようにクイッとやる。ま、かなり自己満足度の高い所作ではあるが(笑)。

坂田甚内 黒陶銀のぐい呑み 右に掲載の黒陶波状文の猪口もいい。内側が金箔のものとプラチナのもの。同じお酒でも金箔だとまろやかになり、プラチナだとキリッと輪郭がはっきりする。

 さ〜て、今夜はどの酒器を使って、どの銘柄の酒を飲もうか。

(130606 第429回)

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