「フェア」であることの難しさ
いい映画だった。
日本が戦争を終結させるために果たした昭和天皇の役割を中心に、天皇は戦争の指導者ではなかったと証明するために奔走するフェラーズ准将を描いた『終戦のエンペラー』。
日本がなぜ戦争に突入していったのか、というテーマに対し、かなりフェアな表現がちりばめられている。
例えば、当時は帝国主義の時代であり、日本は列強の「真似をしただけ」なのだということ。また、天皇が戦争を導いたという証拠はないし、むしろ、終戦に至るための重要な役割を果たしているということ。自らの命をかえりみずマッカーサーに日本人の助命を嘆願したことなど、世界に伝えてほしい重要なポイントをぼかさず描いている(事実、天皇が下した唯一の決断は、ポツダム宣言受諾だけだった)。
その一方、玉音放送の音源を奪おうと皇居を襲撃する陸軍や欺瞞に満ちた大本営発表、煽り立てるマスコミなどの愚かさも冷静に描いている。
この映画は日本人のみならず、世界の多くの人に見てもらいたいと思った。
しかし、誰かの主観によって表現されている以上、完璧な「フェア」はない。もちろん、この映画についてもそうだ。
例えば、フェラーズの人物造形だ。日本人の恋人との交流も描かれていることもあって、彼は当時の日本にとって〝全面的にいい人〟だという印象をもつが、そうとばかりも限らない。彼は、マッカーサーの軍事秘書官として、日本人の〝洗脳〟に深く関わった人だ。いわゆる「ウォー・ギルト・インフォメーション」というヤツだが、〝日本人は愚かでした、日本人だけが悪かったのです〟と「一億総懺悔」させ、徹底した歴史の歪曲によって「自虐史観」を植え付ける役割を果たした人物である。
百田尚樹著『海賊とよばれた男』に、GHQの政策を日本人に知らせるため、数百万台のラジオの修理が欠かせないというくだりがある。そのラジオを使って、GHQはどんなことを当時の日本人に吹き込んだか。
そのあたりの詳しいことは、櫻井よしこ著『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く ─ 戦後日本人の歴史観はこうして歪められた』を読むとわかりやすい。その結果、戦後の日本人は異常ともいえる自虐史観に染まる。いまだその呪縛は解けておらず、あることないこと書き立てて中韓に批判の材料を提供している某新聞などは、その典型である。
結局、フェラーズは日本にとって希有の恩人であると同時に、その反対でもあるということ。歴史は多角的(髙久的ではない)に見ないとわからない。
ところで、シリア情勢について。
アサド政権がいいのかどうかわからない。その真実はアメリカでもわからないはずだ。
であるにもかかわらず、なぜ、軍事攻撃をする必要があるのか。
今まで、中東産油国周辺で、米英などによる〝でっちあげ〟で、どれだけ多くの無辜の民が命を奪われたことか。
もし、本心から〝世界正義〟を言うのであれば、なぜ、中国に軍事攻撃をしないのか。
いま、中国がチベットやウイグルという〝外国〟でやっている蛮行を直視するならば、けっして看過できるものではないはずだ。
とはいえ、中国は国連常任理事国。中国に軍事制裁をしようと言う国はない。
つまり、世界はダブル・スタンダード、トリプル・スタンダードに満ちているのだ。どこか一国だけが正義を貫いていることなどけっしてありえない。
ただ、残念ながら、日本がその問題でイニシアチブをとることは永久にないだろう。資源や食料を輸入に頼る国の宿命だ。加えて、安全保障面ではアメリカに頼っている。
われわれはそういう国に生まれ、生きている。だからこそ、もっとしたたかにならなければならない。
(130903 第450回 写真上は、『終戦のエンペラー』ポスターのイメージ部)