書物、これ我が師
物欲が次第になくなっていくなかにあって、本だけは例外だ。もともと知的好奇心は強い方だと思うが、歳を重ねるにつれ、うなぎ登りにそれが高まっている感がある。それにつれて、本も増えてしまうというわけだ。
あらためて思う。書物こそ我が師だ、と。おそらく、本に興味をもたなかったら、私はひどい人生を歩んでいたことと思う。特にこれといった特技もなく、人と同じことをするのが嫌で、体力も忍耐力も学歴も資産もない人間がいまのように楽しく、充実した日々をおくっているはずがない。だからこそ、本に対する思いは感謝以外のなにものでもない。
とにかく子供の頃から本を読んだ。外で遊ぶのも人並みに好きだったが、本が招き入れてくれる世界に没頭した。学校の図書館で片っ端から借りて、貪るように読んだ。本ばかりではなく、新聞を読むのも好きだった。当時、家では読売新聞を購読していたが、小学2年生の頃から丹念に読んでいた記憶がある(朝日新聞じゃなくてよかったとつくづく思う)。
番組欄より前半の方が好きだった。新聞の下の方に本の広告が掲載されていて、ときどき私はそれを見て母親にねだった。毎回ではなかったが、そのうちの数回は首を縦に振ってくれた。なぜか、本だけはときどき買ってくれたのだった。そうやって手にした本は、まさに「自分の本」。宝物にならないわけがない。
例えば、右上写真の『最後の将軍 徳川慶喜』は小学6年生の時に買ったものだ。定価は550円。もちろん、大人向けの内容で、当時、学校で習っていなかった漢字がたくさんあったはずだ。それでも、私は夢中になって読んだ。慶喜の心の機微がわかったような気さえした。この本は化粧箱に入っているので、存在感もたっぷりだった。
その頃、そうやって得た本の多くが、今でも私の書斎にある。大半は世界の古典文学だが、日本の歴史物も好きで、特に司馬遼太郎は贔屓の作家だった。
本を読んで何を得たのかといえば、考えるということ、そして、価値観は多様だということだ。今、さまざまな情報を鵜呑みにすることなく、自分なりの考え方を構築できているのも(それが正しいかどうかは問題ではない)、ひとえにたくさん本を読んだからだ。
では、学校の勉強は好きだったか、だって?
もちろん、好きではなかった。なぜならば、学校の授業は本質的な学びではなく、表面的な学びばかりだったから。もちろん、中には興味深いものもあったが、大半は無味乾燥なものにしか思えなくて、からきし意欲は湧かなかった。自慢じゃないが、私は高校の3年間、一度も宿題をしていない。自分にそう誓って、最後まで貫徹したからこれは嘘ではない。どうして、そう思ったかというと、学校の学習は学校にいる時に終わるべきもので、放課後は自分の好きなことをしたいと思ったのだ。それが読書であり、音楽を聴くことであり、絵を描くことであり、外で運動をすることだった。結局、あの頃と今では、生活スタイルに大きな隔たりがないことに気づく。そして、そのおかげで私は今の仕事を続けていくことができるのだということにも気づかされる。
そんなわけで我が家の娘には学校の勉強をしなさいとはまったく言わない。そのかわり本を読んでほしいのだが、本には一向に関心がないようだ。もちろん、無理強いしてまで読ませるものでもない。なんでもそうだが、自発的でなければ、意味はない。それに本が好きではなかったとして、将来を悲嘆する必要もない。私の場合は人生に本が活かされたというだけのことであり、それが万人にあてはまるとも思えない。
次回も本の話をしようと思う。
(140227 第489回 写真は司馬遼太郎著『最後の将軍』(文藝春秋刊))