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紺碧の将

にわかカメラマンの心境

2014.04.10

地に還る 起業して28年目になる。主な仕事は、広告の企画・デザインと編集・出版なので、写真撮影は重要なファクターだといえる。だから、いくらカメラの性能があがったとはいえ、「ここぞ!」というときはプロのカメラマンの力を借りる。そういうとき、ディレクションするのはわれわれ側だが、そうこうしているうちに、自分では写せないがどう写してほしいかを指示する能力はついてきたのではないかと思う。

 ここ数年、すべて森日出夫氏にお願いしている。ご存知、横浜を拠点として活躍している人で、還暦をとうに過ぎているとは信じがたいほど若々しい。おまけに、オチャメだ(失礼)。

 毎回、写真が仕上がるたび、短足を、じゃなく、嘆息をもらすことになる。なるほど、こういう撮り方があったのか、と心躍る瞬間でもある。

 と、今回は森さんの話ではなく、最近、私が撮り始めている花の写真のことである。

 森さんの会社でアシスタントとして働いている藤間久子女史のことは、かなり前の本欄で書いた。  ずっと花の写真を撮っているというので、あるとき、作品の一部を見せていただいたらあまりにも素敵だったので、以来、『Japanist』で「はなのきもち」」という連載をしていただいている。

 藤間さんの写真を見て、開眼した。というのは、ほんとうかどうかわからないが、花はこういう風に撮るといいのか、と気づいたのである。まして、新宿御苑を庭がわりにしている私としては花を撮らない手はない。

 そんなわけで、ときどき、キャノンの一眼レフを肩にかけ、御苑や明治神宮をブラブラする。

 いろいろ撮っているうち、あることに気づいた。私は、華々しく咲き誇っている花も好きなのだが、枯れてしまったものも好きなのだと。いや、もっと言うと、花も葉もない、冬の枝ぶりも好きだ。特にサクラはそうで、この季節もお見事だが、それまでじっとエネルギーをたくわえて、自分の出番を虎視眈々とうかがっている時期の様子も好きなのだ。

 右上の写真は、力尽きて落ちてしまったツバキ。戦国武将は、花がまるごとボタッと落ちてしまうツバキを縁起が悪いと忌避していたようだが、その実、あまりにも美しいのでこっそり庭に植えていたという例も少なくなかったそうだ。

 目線を地面にまで下げ、ツバキのさまざまな営みに思いを馳せると、いちだんと感興がわいてくる。そこで一枚、パチリ。焦点は左の花と右の枯れ枝に。「地に還る」というタイトルをつけた。

老いのはじまり もう一枚の白い花は、おそらくペーパーホワイトだと思うが、「懸命に咲いたのよ」と言わんばかりの風情に心打たれる。こちらは「老いのはじまり」というタイトルを。

 いまのところ、気に入っている写真は30枚くらい。90歳になった頃、花の写真つきでエッセイを書いてみたいと思っている。

(140410 第499回 上の写真はツバキ、下はペーパーホワイト?)

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