多樂スパイス

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私たちについて
紺碧の将

市中の山居

2014.06.09

鰹節 一日一日をある一定のリズムでていねいにおくろうと思っている。

 朝起きると、すぐに仕事にとりかかる。朝は脳の動きがもっとも活発で、難易度の高いものは朝に限る。一方、取材や打ち合わせなど、人に会う場合は午後に予定を入れることが多い。
 いっさい仕事をしないという日は、おそらく、ない。元旦を含め、毎日仕事をしている。だから、曜日の感覚がほとんどない。日曜日も水曜日も基本的に同じ。そもそも仕事と仕事以外の境界線が曖昧で、オンとオフを分けることは不可能だ。
 毎日1回か2回、覚えている禅語を紙に書いて意味を深めている。昨年の5月頃から始め、ずっと続けているのだ。現在、265の禅語を暗誦し、書けるようになった。知人から、「禅僧になるのですか」と笑われるが、もちろんそういうつもりはかけらもない。
 暗誦・筆記する際、どこまで意味を理解しているかはあまり問わない。ひたすら覚えるだけだ。そのうち、雲が晴れるように理解できる瞬間がくると思っている。禅はもともと、言葉を要しない「不立文字」が基本といいながら、これだけ多くの禅語があるというのは明らかに矛盾。鈴木大拙は、「不立文字を理解させるためには、多くの言葉が必要だ」と言っているように、言葉を介した理解は無意味ではない。それに、私は正座ができないので、言葉による理解は自分に合っていると思う。
 いつも気をつけることは「動中静」(どうちゅうのじょう)の心境。つまり、周りが騒がしくても、心を平静に保つことを意識する。だから、音楽をガンガンかけながら禅語を書くことも少なくない。毎日すべてを書くのは容易じゃないので、いくつかのブロックを抜き出して書くことが多いが、以前と比べ明らかにちがってきたのは、記憶力が増したこと。覚えていることを思い出し、紙に書くというのは脳の訓練において基本中の基本だと思う。字も前よりは少しうまく書けるようにもなった(と思う)。もっといえば、禅の意味を少しずつ体得するようになって、心の余裕ができた。年内に300語という目標を掲げているが、案外早く到達できそうだ。
 その他にラジオ体操、腕立て伏せ、スクワットなどを仕事の合間にこまめに採り入れる。なにしろ、パソコンは必要不可欠なツールである。体にいいわけがない。バランスをとることはとても大切だ。
 3日に1回くらい、新宿御苑を走る。新緑が眩しい季節は最高。梅雨から真夏にかけては過酷だが、それでも走る。外周(約3.5キロ)の内側を一周し、その後、くねくねと苑内の道を走る。御苑は大木が多いので、真夏でも日陰を走ることができる。ジョギングでも禅語と同様、「前回より少し進歩する」が基本だ。毎回、数十メートルずつ距離を伸ばしているため、最初と比べると走る距離がかなり伸びた。最後の方はバテバテだが、それがあるからこそ、シャワーの後の冷たい水が美味しい。
 40歳まで多くの小説を読んできたが、ここにきて再び小説の魅力にはまっている。これもひとえに内海隆一郎先生のおかげだ。
 今年の3月から内海先生に師事している。これは私にとって「大事件」だ。今まで誰かに文章を指導してもらうことなど考えてもいなかったが、目から鱗の連続である。
 すると、いい小説を読みたくなるというのは自然の理。時代を超えて残っている作品は、人類の財産だとあらためて思う。今、ヘミングウェイの『武器よさらば』を読んでいるが、4回目にして今回がもっとも新鮮だ。
 食事は和食を原則とし、「いいものをちょっとずつ」を心がけている。主食は玄米や雑穀を混ぜたごはん、手前味噌でつくった味噌汁、焼き魚など。魚はなるべく丸ごと食べる。ここに意外な伏兵がいる。鰹節だ。八面六臂の活躍で、いろいろなものに使っている。昔の日本人は知恵の塊だったと再認識。
 コーヒーもその都度豆を挽き、ドリップする。私はヨーロピアンな「濃〜いコーヒー」が好きだ。そういうコーヒーを飲み続けていると、そのへんのカフェで出されるコーヒーが不味くて飲めないので、あえて「別もの」だと思うようにしているほどだ。
 酒といえば純米酒だったが、最近、ウィスキーが復活した。思えば、20代の頃は仕事の後、毎晩のようにバー巡りをしていた。
イサキ こんな日常に呼応しているのか、最近いただきものが多い。先日、この欄で山菜をいただいた話を書いたが、先日は本をたくさん買っていただいた方から新鮮なイサキの開きが届いた。「長崎・五島の塩のみ使用した自家製です」と手紙が添えられていた。我が家は成人になったばかりの娘を含め、ジャンクフードをほとんど食べないので、こういう贈り物がほんとうに嬉しい。
 ところで、先日、衆議院議員会館で開催された、国家ビジョン研究会主催のシンポジウム「新時代の道徳教育」で、大塚貢氏の学校給食での実践例を聞いた。荒れ果てた学校に校長として赴任した氏は、給食を変えたことによって短期間に驚くほど成果を上げた。非行や不登校は激減し、成績は上がったという。やはり、明治の軍医・石塚左玄がいうように「食は本なり、体は末なり、心はそのまた末なり」、あるいは「健全な精神は健全な肉体に宿る」は真実なのだろう。
 5年前のデータでは、高校生の4割は成人病予備軍といわれている。現在はさらに悪化している可能性が高い。つまり、そのままの生活を続ければ、ガンや脳卒中、心筋梗塞に罹る確率が高いということ。20代で成人病に罹る人の割合は年々高くなっているが、今のような食生活を続けたら、そりゃそういう結果になるだろう。
 以前、『Japanist』で真弓定夫先生に取材したときも、最近20代の乳ガンが多いとおっしゃっていた。本人の苦痛はもちろんのこと、国民医療費はさらに高まり、財政を圧迫することになる。世の中にとって、なにもいいことがないのだ。それなのに、「悪い食生活」は勢いを失っていない。それによって利益を受ける人がたくさんいるからだ。
 ということで、せめて賢い読者諸兄は自分の身を自分で守りましょう。
(140609 第508回 写真上は、鰹節。下は送っていただいたイサキ)

 

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