凸凹旅がらす、吉野〜高野山へ行く
初めて高野山へ行き、宿坊に泊まった。同行したのは多樂塾のメンバー4人。
いちおう、三宝院の門でのショットを使って紹介しておこう。右の写真には写っていないが、それぞれ旗指物を背中にさしている。
左から「愚」の旗指物を掲げる三村邦久さん、「多」の小生、「森」の森本昌清さん、「米」のネイザン・エルカートさん、「侑」の塚田侑さん。
「愚」はもちろん、愚か者という意味ではない。愚直経営の極北を標榜するがゆえである。「森」は名前の一字でもあるが吉野に森をもっているという意味も含まれる。「米」は米国人であり日本通でもあるゆえ。ぜひにもドナルド・キーンの後継者になってほしいと私は思っている。「侑」は祭肉を神に供える役目を担う人という意味に加えて、名前にその字があるゆえ。治療院経営もそれとは無関係ではあるまい。
今回の旅のアレンジはすべて森本さんにお願いした。彼は奈良県吉野に生まれ育ち、現在は株式会社吉野森久銘木店を経営する。社名にも「銘木」とあるように、床柱などの高級木材ばかりを扱う。毎月、奈良から多樂塾に来てくれる、ありがたい(奇特な)方だ。
この稿の「凸凹(でこぼこ)」とは、年齢も職業も住まいもバラバラだが、心の根っこにあるものは通底するという意味でもある。
高野山は今年の2月に訪れるはずだったが、残念ながら大雪に見舞われ、手前の橋本で退却せざるをえなかった。そういう事情もあり、高野山の宿坊に泊まるのは悲願でもあった。
私は年に365日酒を飲むが、この日ばかりは飲めないものと覚悟していた。なにしろ寺に泊まるのだから。
しかし、夕方、宿に到着して食事が始まるやいなや、冷たいビールが出てきた。
さすが空海! さすが弘法大師! 一杯くらいは健康にもいいとして、むしろ酒を奨励しているという。この大らかさがたまらない。こういうところは禅寺も見習ってほしいところである。
食事は精進料理でありながら、質量ともにそれを感じさせない満足感があった。素材を厳選し、調理に心を砕いているのがわかる。特に近在で採れたコメの美味しさは比類がなく、おかずなしでもじゅうぶんなくらい甘味があった。私以外の4人はすべて3杯、私でさえ2杯という「おかわりぶり」である。
寺に泊まるといえば、質素というイメージだが、個室の部屋も大きな浴場も申し分なかった。あたかも旅館のようである。いや、むしろ粗末なバイキングで済まそうという旅館が多いなか、なかなかのもてなしぶりである。高野山大学でのナイトレクチャー後は副住職を交え、談話室で日本酒やビールを片手に語らい、気がつけば、深夜1時30分を過ぎていた。時間を忘れるとはこういうことを言うのだろう。
翌朝6時からの勤行は、怖れていた通りの展開になった。きっかり2時間、読経と法話を聞くために胡座をかいていたのだが、ふだん床に座る習慣がまったくない私は脚がしびれてきてから話の中身が頭に入らない。そこで仕方なく、書き進めている小説のプロットやこれからの楽しいイベントなど、なるべく快楽的なことをイメージしながらなんとか乗りきった次第である。
高野山は816年、空海(弘法大師)が真言密教の修行の地として開いたところだ。なぜ、空海は清浄な空気に満ちたこの地を探し当てることができたのか、そして、どのようにして嵯峨天皇を説得したのか、興味はつきない。わかっているのは、この地が特別であるということ。
高野山の前に訪れた吉野もよかった。そこで私は食卓用の板を購入したのだが、それがきれいに加工されて届いた後、吉野について少し触れてみたいと思う。
(140616 第509回 写真中は夕食時の風景、下は三宝院)