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紺碧の将

中尊寺から陸前高田へ

2014.10.05

中尊寺能舞台 ジャズ喫茶「ベイシー」で素晴らしい音を堪能したことは、前回書いた。

 その日、レジで買ったベイシーのオーナー・菅原正二氏の著書『聴く鏡』を読み終え、なぜ、あれほどまでにとてつもない音を再現できるのか、一端を知ることができた。
 とにかく理想の音を求めて、あらゆる努力を惜しまない。時間も労力も、そして費用も。レコードをなぞる針からアーム、ターンテーブル、プリアンプ、メインアンプ、そしてスピーカー、そのいずれにも可能な限りの注意を払い、何度も実験を繰り返し、長時間かけてバラしてはまた組み立てる。果ては、室内の他の照明器具などが電気的に及ぼす影響など、ありとあらゆるところに意識を向け、自分が納得のいくまで試行錯誤を繰り返す。
 彼にとって、安定的にいい音が出ている状態は、「不可」らしい。さらなる良い音を求め、深い森の中へ分け入って行く。その大半は行き止まりで退却を余儀なくされるにもかかわらず。
 結局、彼は答えのない世界で、命懸けで自分の答えを求めているのだ。だからこそ、東北の片田舎で(失礼)45年以上にもわたってあれほどの空間を維持できているのだと思う。
 彼の見識にも驚いた。音楽(特にジャズ)についての深い考察、世の中の見方、ミュージシャンたちとの幅広い交友関係など、あのヘンクツなオジサンがどのようにして? と思わせるほど厚みがある。

 翌日、平泉の中尊寺へ行った。一関から中尊寺はすぐだ。
 中尊寺は新緑の季節も紅葉の季節も素晴らしい。藤原三代の栄華があの広い境内一帯にいまでも息づいている。
 数年前、世界遺産に指定されたが、じつは私は現在の覆堂は好きではない。たしかに金色堂そのものは世界遺産の名に値するものだが、それを覆うコンクリートの堂はいかにもつくりものっぽくて、まったくあの地に不似合いだ。近くに、昔使われていた木製の覆堂が保存されているが、そっちの方が格段に雰囲気がある。
 能舞台も素晴らしいのひとことだ。内海隆一郎氏の名短篇『父の絵』に中尊寺の能舞台が出てくるが、森のなかにひっそりと佇むこの舞台で幽玄な能を鑑賞できたらさぞや素敵だろうなと思う。私の自宅から2分ほどのところに国立能楽堂があるが、その偉容たるや比較にならない。
衣川 能舞台の奥にあるカフェから衣川が見えた。義経が最後に戦ったところだ。子供の頃、私は『源平盛衰記』を夢中になって読んだ。もちろん、義経が当時のヒーローだった。いまとなってはいろいろな分別がつき、やはり兄の頼朝の方が数倍人物が大きかったと思うが、衣川を見下ろしながら少年の頃の憧れを思い出した。
 その後、陸前高田へ向かった。あれから被災地はどのようになっているのかという興味と、同行したネイザン君に見せてあげたかったからだ。
 陸前高田から気仙沼にかけての海岸線は、おびただしい数のダンプカーが激しく行き交っていた。聞けば、海岸から少し奥に入ったところに高台の住宅地を造成しているという。さらに驚くべきことは、長い海岸線を幅25メートルほどのコンクリートの堤防で固めるという。
 ネイザンは「ナンセンスだと思います」と言っていたが、ナンセンスどころの話ではない。どうしてこうも愚かなことが行われているのだろう。いったい、コンクリートは何年くらいもつのか。生態系に及ぼす影響はどうなのか。疑問が次から次へと湧き起こってきた。結局、利権によってどうにもならないのだろう。
 平泉から陸前高田へ向かう道中、多くの空き家を目撃した。それらは緑豊かな地にあり、もちろん津波が来る心配はない。そのような物件を活用する方法はないのだろうか。あの殺風景な海岸線に無機的な造成をして、はたして人は集まってくるのだろうか。コミュニティーは再生するのだろうか。地球の末期を描いた映画に出てきそうな風景のなかに、人は住みたいと思うのだろうか。いまでも疑問が芋づる式に湧いてくる。
(141005 第525回 写真上は中尊寺の能楽堂、下は衣川)

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