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紺碧の将

短調の桜陶板

2008.04.13

 毎年この季節、陶芸家の島田恭子氏は広尾の「ギャラリー旬」で個展を開く。桜をモチーフにすることが多いことからこの季節なのだろう。

 昨年に続き、今年も覗きに行き、作品をひとつ購入した。

 桜の陶板である(写真)。初日に訪れたが、狙っていたものはすべて予約済みだったので、イメージに最も近い作品を選んだ。

 桜は桜でも夜桜である。花びらが数枚落ちているところが月明かりに照らされている。かなり妖艶である。あの桜の下にいる人は、たぶん哀しい目をしているのだろう。

 案内状をいただいた時に、少し作風が変わったかな? と思った。桜ばかりではなく、椿や菖蒲、萩、モミジ、蓮、アジサイなど、さまざまな花を描いていたからではなく、桜の絵そのものがである。

 音楽で言えば、短調の作品が増えたというところだろうか。島田女史の作品は、明るく健康的な桜が多かったが、どうも一筋縄ではいかない桜も描かれるようになったようである。

 私はモーツァルティアンを自負するが、ほとんど長調ばかりのモーツァルト作品にあって、ごく少数の短調作品が特に好きなのである。ピアノソナタ第8番、ヴァイオリンソナタ第28番、ピアノ協奏曲第20番・24番、交響曲第25番・40番、そして弦楽五重奏曲第4番、それからレクイエム。もちろん、長調の曲にも惹かれるが、モーツァルトの短調はことのほか素晴らしい。シューベルトの短調は鬱陶しくてなかなか好きになれないのだが、モーさんの短調はなぜあんなに心の奥深くに沁みいるのだろう。たぶん、自分の心の短調な部分(というものがあるかどうかは別として)と符合するのだろう。そういう意味で、夜桜を描いた陶板も私の心のある部分に重なるのだと思う。

 自分で言うのもナンだが、私の好みはけっこうバラけている。レッド・ツェッペリンを聴き、体が火照った状態でオペラのアリア集を聴いたり、返す刀でアフリカものを聴いたりする。ゴッホも好きだが、下村観山も好きだ。西行も好きだが、バルザックも好き。濃厚なフレンチも好きだが、淡泊な和食も好き。という具合に、精神分裂的なのであるが、もちろん本人にとってはごくごく自然なのである。このあたりがどのように体系化されているのか、いずれ自己分析してみるのも面白いかも、などと暢気なことを考えている。

 ところで今回の陶板で島田女史の作品は全部で9個になった。みんな桜だが、それぞれに表情がちがう。

(080413 第45回)

 

 

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