しなやかで堅牢な師弟愛
ここ数年で出色の美術展といっていい。宇都宮美術館で開催されている「遊亀と靫彦─師からのたまもの・受け継がれた美─」。事務所の移転で宇都宮に滞在することが多く、なんと3回も見てしまった。そのたびに新しい発見があり、表現の深さに唸った。
安田靫彦は歴史を題材にした作品で知られている。単純な構図と際だった人物像は、観る者を一気にタイムスリップさせる。あたかも目の前にその人がいるかのように。
右上の『谷崎潤一郎氏像』の気魄にたじたじとなった。顔から首と手に薄い色がある程度で、あとは線のみだ。しかし、この和服の中に谷崎の肉体がぎっしりと詰まっているのが伝わってくる。そして、その気魄。作品を書いている時の谷崎なのだろうか。かすかな気の緩みもない。
左ページの『茶室』に漂う、凜とした空気感も好きだ。静寂のなかに湯の沸いた音が聞こえる。こういう絵が描けるということは、靫彦の精神世界がきわめて高いということでもあろう。
安田靫彦の風景画、特に植物画も好きだ。単純な線なのに、迷いがない。そのものの本質を的確に抽出している。ずっと観ていても飽きない。
靫彦の指導を受けた小倉遊亀もまた素晴らしい画家だ。なんといっても、105歳まで描き続けたというのがいい。模範にしたい。
師から、「太い線に頼ることをやめなさい」と言われ、格闘した末、独自の境地にたどり着いた。右の『童女入浴』はまさにその一例だろう。湯けむりのなかに、幼い姉妹がいる。そのたおやかさといったら!
遊亀は師からこうも言われた。「一枚の葉っぱを手に入れなさい。そうすれば、宇宙全体が手に入ります」。ひとつが万物を表すということ。万物斉同だ。
そして、遊亀は開眼する。
「ある時、人も植物も動物もなにもかもが同じだとわかったんです。つまり、こちら側の態度は同じでいいんだとわかったんです」
そういう境地にたどり着いたからか、遊亀の描く静物画は歳とともに子供の絵のようになっていく。なんの作為ももたない、純粋無垢な絵に。
迷いがあった時、遊亀は師にこう訊いたという。
「わたしに絵の才能はあるんでしょうか」
静かに絵筆をとっていた師がいきなりガチャンと筆を置き、遊亀に向き直って厳しい口調で言った。
「いま、なんと言いましたか。あなたはここに来て何枚の絵を描きましたか。そんなものは死んでしまってから、後の人が判断することですよ」と。
二人の師弟関係は靫彦の死まで、およそ60年も続く。その豊穣な世界が、この企画展に横溢している。
とても幸いなことに、私も50歳を過ぎてから師に恵まれた。東洋思想家の田口佳史先生と小説家の内海隆一郎先生。やさしくも厳しいご指導をいただき、感謝するばかりである。
(150510 第556回 写真下は雑木林のなかの宇都宮美術館。ロケーションの良さは全国でも五指に入ると思っている)