歩行困難になった海
いつものようにランニングを終えて戻ると、娘が血相を変えて「パパァ、海を病院へ連れて行って」と言う。なにごとかと聞くと、急に歩けなくなってしまったと。
見ると、座ったまま動くことができず、ニャーニャーと鳴くばかり。本人も何が起こったのかわからなくて、鳴くしかないという感じだ。
このネコは本ブログに10回くらい登場しているので、覚えておいでの方もいるだろう。ただのキジトラだが、こんなに家族と濃密に過ごしたネコはこいつ以外にない。毎朝、眠っている私の耳元にやって来ては「ニャア!」とひと鳴きし、戻って行く。つまり、「目覚ましネコ」としても大活躍だったのだ。
診察してもらい、いろいろ検査をした。レントゲン撮影、血液検査や内臓を超音波で見たり……。血液検査の結果はすぐにわからないが、レントゲン撮影などの結果から判断すると、心臓の老化現象に伴い、血栓ができやすい状態になっていて、それが脚にきているのではないか。さらに肺水腫の可能性もある。また、4年ほど前に発症した喘息によって気管支が硬くなっているなど、老化による多重障害の可能性を指摘された。それもそうだろう。1999年の海の日に拾ったのだから、現在16歳。人間であれば、80歳に近い。
数年前までマリリンという、もう一匹のネコがいた。彼女は23歳まで生きた。最後は顔がグジャグジャになり、目も見えない状態だった。体は枯れ枝のようになった。それでも完璧と言えるくらい、寿命をまっとうした。死ぬ前日まで立って歩いていたし、粗相をしたのも死ぬ直前くらいだった。買い主にも懐かないネコだったが、死に方は教えてもらった。
だんだん、海がマリリンの享年に近づくにつれ、いったいいつ、衰えていくのだろうと思っていた。写真のように、まだまだ毛並みもいいし、そのうち死ぬなどとは思えなかったのだ。
歩けなくなると、生き物の衰えは早い。この2日間で一気に弱々しくなってしまった。歩く姿が痛々しいのだ。
朝、私を起こしに来ることもなくなってしまった。日常、あたりまえのようにあった行為がなくなっていくというのは、じつに寂しいものだ。あらためて、命の有限である理を突きつけられたような気分である。
ところで、今回お世話になっている動物病院だが、神宮外苑の一角にある小さなクリニックで、ネコ専門である。診察は入念で、質問は多岐に及んだ。自宅に戻ってからも電話で容態を説明し、それに応じて投薬のアドバイスをくれる。休診日になにかあったらと、携帯番号まで教えてくれた。
ふと思った。これは人間様の診療より数倍も数十倍もていねいではないかと。
私はふだん病院へ行かないが、3時間待ちの3分間診療とはよく聞く話。本来、人の体を診るというのは、こういうことだよなあと妙に感心してしまった。
治療によって延命できても、やがて命の終焉はやってくる。それまで、悔いのないよう、できる限りの交流を続けたい。なにしろ、ともに生きてきた家族なのだから。
(150712 第565回 写真上は力なく寝そべる海)