力を溜め込む季節
世の中の多くは相対するものの調和で成り立っている。昼と夜、動と静、強と弱、長と短、寒と暖……。自然界の動きを見ると、そういうことがわかる。
そして、自然の一部である動物も雄と雌(男と女)に分かれている。ごく一部の例外を除き、新しい命の誕生には雄と雌の調和が必要なのだ。そのことが意味するところは深く、重い。
今の季節はなにをするにも快適だ。私は春生まれだが、どちらかといえば秋の方が好きだ。力を溜め込み始める態勢に入ったという、この感覚が好きなのだ。とはいっても、その他の季節が嫌だという意味ではない。もちろん春も好きだし、みんなに嫌われている夏もいい。以前は冬が苦手だったが、今では悪くないと思っている。つまり、どの季節もそれなりにいいのだ。
人間には、エネルギーを溜め込む時期と発散する時期がある。長い人生にも当てはまるし、1年ごとにも当てはまる。10月から3月くらいまでの季節は、まさに「溜め込む」時期だろう。この時期に何をするかによって年輪のつき方に相違が生じるのだと思う。無自覚に時を過ごすのと、こういう意識を持って過ごすのとでは、やがて大きな差になって現れると私は思っている。
少し前に、文科省が人文系の大学を統廃合しようという動きを示し、問題になった。「すぐに結果が出るもの」「目に見えて成果がわかること」に重きを置くという、愚かな発想にほかならないと思う。理科系も大切だが、私はそれ以上に人文系に重きを置くべきだと考えている。なんとなれば、今、リベラルアーツを備えた人間がじつに少なくなっているという印象があるからだ。
リベラルアーツは、つかみどころがない。多分野の教養、その相互関連性、時間的連続性、パースペクティブな物事の見方、多角的な物事の見方などを総合的に用いて自分なりの考え方や価値観、見識を高めていくと私は定義しているが、そう言われても、「?」と思うだろう。いったい、成果はいつ出るのか、と。
そうなのだ。成果などいつ出るかわからない。測定方法もない。となれば、敬遠されるのも仕方はないのか。しかし、だからこそ、学ぶ意義がある。繰り返すが、今、そのような人物は決定的に少ない。ということは、遠からず、そういう人物が社会から求められる時代になってくる(もうなっているか)。
新宿御苑にラクウショウの気根がある。きわめて珍しいらしいが、要するに、根の一部が地上に出ていて、空気を吸っているのだ。もちろん、地中からも滋養を得ている。つまり、周りのあらゆるものから栄養を貪欲に取り入れているのだ。
これはまさにリベラルアーツそのものだ。
(151012 第586回 写真はいずれもラクウショウの気根)