多樂スパイス
HOME > Chinoma > ブログ【多樂スパイス】 > 断食サナトリウムで身心をリセット

ADVERTISING

私たちについて
紺碧の将

断食サナトリウムで身心をリセット

2015.11.12

窓の外 伊豆のヒポクラティック・サナトリウムで5泊6日の断食をした。訪れたのは3年半ぶりだ。特に体の不調があったわけではない。むしろ、ゼッコーチョーである。ただ、少しずつ内臓に負担をかけているはず。それを集中的にリセットしようという目的だった。

 断食の効果は前回で思い知った。私はけっして大食いではないが、それでも「食べ過ぎ」だった。水も飲み過ぎだった。そういった諸々が極度の肩こりにつながり、なにをやっても改善しないほど悪化した。
 それなのにたった5日、断食しただけで症状が劇的に改善した。その時の様子は3年半前の小欄でも詳しく書いた。
 あの時以来、食事の回数を2回に減らし、体温を上げて血行を良くする食事を心がけ、好きな酒は毎晩飲むようになった。下半身強化のためのトレーニングも取り入れた。その成果は極めて上々だ。
 現代の日本人は病気漬けのようだ。昨年、国民医療費は40兆円を超えた。それがどれほど途方もない額なのか、金額が大きすぎてピンと来ないと思うが、滞在中、石原結實医師の講話で納得した。例えば、1兆円という額は、なんと縄文時代から現代まで毎日100万円ずつ使っても使い切れないというのだ。その40倍を毎年使っている国、それがわが国だ。
 私はほとんど病院へ行かない。創業以来29年弱、いまだに病欠ゼロが自慢でもある。薬も飲まない。だから、足繁く病院へ通っている人のことがよくわからない。
風呂への道 多くの心ある医師たちは職業意識をもって頑張っているのだと思う。とりあえず医学は発展しているのだろう。それでも、病気は増えているのだ。とりわけガンの増加は著しく、若年層の発生率も高まっている。どうしてそういう事態になったのか。「みんな頑張っているけど、病気が増えている」というのは、結局、考え方そのものが間違っていると認識すべきなのだ。
 食べ過ぎ、運動不足、ストレス、化学添加物摂取過剰に尽きるのだと思う。
 人体はこれまでの長い歴史上、栄養過剰に対する対処方はいまだに学習していない。にもかかわらず、外食産業従事者も栄養士も学校の教師もお父さんもお母さんも「これを食べなさい」と言うばかりで、「食べすぎだよ」とはなかなか言わない。だから、本人が食べ過ぎだと思っていても、習慣でつい食べてしまう。その悪弊をどこかで断ち切らなくてはいけない。
 しょせん、自己責任だから、人のことはとやかく言えない。ただ、ひとつはっきり言えることは、このまま日本人みんなが病気ばかりになったら、国家が破綻するということだ。国会議員でもそういうことに警鐘を鳴らす人はごくわずかしかいない。それが問題だ。ヒポクラティック・サナトリウムを経営する石腹結實医師(イシハラ・クリニック院長)は数少ない警鐘者の一人だ。

 ところで前置きが長くなったが、今回の断食について。一日3回(8時、12時、17時45分)3杯ずつニンジンリンゴジュースと梅干し、10時に具なしの味噌汁をいただく。あとは部屋に常備してある生姜紅茶に黒糖を混ぜて適当に飲む。これらで必要な栄養素(糖、塩分、ビタミン、ミネラル)を補充できる。空腹感は驚くほどない。サウナ付きのお風呂に何度も入る。これで体はぽっかぽか。残念ながら部屋のエアコンがうるさい割になかなか暖かくならないから、少し厚着をしてしのいだ。それでも体が温まっているので暖房は不要だ。
 今回は部屋にパソコンを持ち込み、起床と同時に仕事をした。電波状態が悪いうえにネットもつながっていないから、ほぼカンヅメ状態。当初予定していた通りの結果を得られたのは満足である。
 チェックイン直後、62.0kgだった体重は、チェックアウト直前で60.8kg。わずか1.2kgしか減らなかった。聞けば、5泊くらいすると5kgくらい減る人が多いようだから、私の場合はかなり少ないといえる。これはふだんから絞っているということだろう。食事をしなかったが、運動もしなかったということもあるだろう。

 滞在中、哀しい報せがあった。多樂塾のメンバーでもあり大切な友人が亡くなった。もとより本人も「病気のデパート」と言っていたくらいなので頻繁に病院へ通っていたが、ほんとうに残念でならない。事務所の近くにお住まいなので、近々訊ねようと思っていた矢先のことだった。せめてもう一度会いたかった。
 毎日当たり前のように思っていることが、次の日も当たり前に続くと思っていると、タイミングを逃すことになる。それを肝に銘じたい。
 合掌。
(151112 第593回 写真上は部屋からの風景。終日パソコンの前にいたが、窓外の風景はじつに爽快だった。写真下は廊下と白壁の浴室棟)

【記事一覧に戻る】

ADVERTISING

メンターとしての中国古典(電子書籍)

Recommend Contents

このページのトップへ