多樂スパイス

ADVERTISING

私たちについて
紺碧の将

意識と無心

2015.12.09

イチョウの紅葉 秋から冬に変わるのは、あっという間だ。幾日か目を離していると、葉が色づき、おびただしい落葉が地面に重なっている。

 以前は冬の到来がたまらなく嫌だった。今でも好きではないが、前ほど嫌ではない。冬は冬で、風情があると思えるようになった。頭は冴えるし、熱燗の日本酒がさらに旨い(私は真夏でも熱燗で飲む)。

 最近、少しだけ学んだことがある。無心になるための秘訣だ。
 私は左膝の下に骨がぽっこりと出ていて、1分間以上の正座はできない。よって、坐禅はできないのだが、そのかわり毎日、禅の言葉を書き付けている。
 すると「無」という言葉がやたらと出てくる。とりわけ、無心という境地は目指すべき到達点のひとつであることはわかった。
 しかし、そのための道筋がわからない。無心になろうとしても、さまざまな思いが去来し、むしろ無心とはかけ離れていく。
 そのうち、おぼろげにわかってきた。努めて意識をすることだと。
御苑の紅葉 ぼーっとしていても無心にはなれないが、何かを真剣に意識して、ふと気づくと無心になっていることが多い。テーマはなんでもいい。俗っぽいことでも夢物語でも……。没頭没我の境地はその先にあるのだ。
 朝、ランニングをしている時に気づいた。呼吸のリズムを意識しながら、手足の動きを意識しながら走る。足の運びを右、左、右……と意識する。つまり、自分の体の動きに意識を向けるのだ。すると、その途中で意識がどこかへワープするのだろうか、他のことに没頭していることがある。
 以前、取材した洋画家の薄久保友司氏も言っていた。「意識して描くことが重要だ」と。ただ、無意識に描いても上達しないし、成果は得られない。じつは無意識と無心はまったく遠いところにあるのだ。
 そんなことを考えながら、今年一年をふり返っている。まだ3週間ほどあるが、今年も生まれてきてから最高の一年だったと思えることが嬉しい。
 それにしても、これほど鮮やかな紅葉を見せてくれているのに、俯いて歩いている人のなんと多いことか。歩きスマホ。うつ病が増える一方だというが、それもうなずける。と考えるのは短絡に過ぎるだろうか。
(151209 第599回 写真は新宿御苑の紅葉)

【記事一覧に戻る】

ADVERTISING

メンターとしての中国古典(電子書籍)

Recommend Contents

このページのトップへ