宇宙の真理を知る大工たち
以前、宮大工棟梁の小川三夫氏に取材した時のこと。
「重量計算や加重のかかり方など、建物をつくるためには基本的な建築工学の知識が必要だと思いますが、それらはどうやって学んだのですか」と訊くと、
「特別なことは必要ない。規矩を学んで、あとはひたすら現場でいい仕事をしていれば、おのずとしっかりした建物になる」
そう棟梁は言い切った。
わずかにのけぞった。聞きようによっては、建築工学など学ばずとも、いい建物は造れると聞こえたからだ。たしかに、法隆寺を建てた大工たちは、建築工学など学んでいなかっただろう。
規矩の規はぶんまわし=コンパスを、矩は曲尺や定規を意味する。つまり、規矩によって仕口や継ぎ手などの接合部を組み、建物の構造を造っていくというものだ。しかも、金属部品を使わずに。西洋の建築工学を学んだ人にとっては常識はずれにちがいない。しかし、現に築後数百年の木造建築物が日本中いたるところに建っている。これをどう説明すればいいのか。
法隆寺には宮大工の口伝がある。口伝とはその名の通り、話し言葉によって継承されたものだ。
──伽藍造営の用材は木を買はず山を買へ
──木は生育の方位のままに使へ
──木組は寸法で組まず木の性癖を組め
──木の性癖組は緒工人の心組
──百論一つに統ぶるの器量なきは謹み班長の座を去るべし
他にも同様の口伝は100以上もあるといわれる。どれも意味が深い。そして、どれも非合理だ。プレカットなど、もってのほかということになる。
根拠はないが、いにしえの大工たちは、宇宙の秩序を理解していたのだと思う。つまり、大自然にも人間にも通ずる、普遍的な真理を。なんとなれば、自然も人間も、そして木ももとをただせば同じであるのだから。
昨年、羽黒山五重塔に見惚れたことを本欄に書いた。じつに美しい佇まいだった。森のなかに、忽然とひとり建っている。大河ドラマに出てくる姫君のように優美な姿で。その五重塔の木組みは、名状しがたいほど緻密で、整然としていた。
以前、インドの木造寺院を見たことがあるが、木組みが恐ろしく粗末で、思わず笑ってしまった。エローラやアジャンタの石窟を造った民族だが、木組みのことはまったくわかっていない。
もっとも、それが普通なのだろう。日本の大工は度を超えて万物の真理に通暁している。
(160622 第645回 写真上は羽黒山五重塔の木組み、下は外観)