多樂スパイス

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紺碧の将

命拾いしたぜ

2008.10.02

 もしかしたらここで野垂れ死にするかもしれない、と思う場面に遭遇した。いわゆるパニックというやつだ。いざ、そういう状態になると、人間の行動は不可解になる。同じところを行ったり来たり。心と体が一致しない。結果的に、今こうしてブログの原稿を書いているのだから難を逃れたわけだが、山の恐ろしさをじゅうぶんに味わった。

 9月29日、日光白根山を目指した。同行者は “くせ者” 高久和男。偶然、苗字が同じだが、性格がまったく異なることは拙著『多樂スパイラル』に書いた通りである。簡単に言えば、しっかり者とうっかり者ということになるが、今回はどっちがどうなのかわからない事態になってしまった。

 そもそもその日は2500メートル級の山を登るに適しない天気だった。朝からどんよりと曇り、空は鈍い灰色で覆われていた。天気予報は「昼前は曇りで午後は雨」。それでも決行してしまうところが無謀と言える。

 頂上に近づくにつれ、ガスが濃くなってきた。冷たい雨もぱらついている。ただでさえ急峻な道が続くのに、雨に濡れて足場が不安定だ。短い草をつかんで登ったり足を踏み外したり……。

 弥陀ヶ池を過ぎると、急にカズオ氏のペースが鈍ってきたので、いつものごとく「お先にぃー。頂上で待ってます」と言って、自分だけペースを上げた。

 そのうち濃いガスがたちこめ、大粒のみぞれが降ってきた。それでも構わず登り続け、ついに頂上にたどりついた。頂上には犬を連れた初老の夫婦がおり、私を撮影してくれた。それが右上の写真である。見てわかるように、雨合羽は300円くらいの安物。ふだんは格好から入る癖があるのに、登山に関してはドシロウトのいでたちである。

 さて、それからカズオ氏の到着を待った。腹がすいているのも我慢し、みぞれが降りかける中、20分以上待っても姿は見えない。そのうち、初老の夫婦も下山し、ひとりになってしまった。徐々に体は冷え込む。もしかしたら、カズさん、最近お腹がやけに出っ張ってきているので、それが災いして滑落したのではないかと心配になり、来た道を引き返していった。

 すると、若いカップルが現れ、「あのー、お連れの方は下山するのでそのことを伝えてほしいって言ってましたよ」と言う。ヒゲづらの男がいたら、そう伝えてほしいと頼まれたらしい。

「ええーっ! ずっと待ってたのに……」

「そうなんですか。そこの下あたりでおにぎり食べてましたよ」

 「おにぎりぃー? ひとりでかー? くー……」

 その時の悔しさ、わかりまっか?(急に大阪弁)

 また、置いてけぼりだ。2年前、リオ・デジャネイロでも置き去りにされた。まったく、とんでもないオッサンである。

 悔し紛れに私は再び頂上まで登り、反対側から降りることにした。反対側を下ると五色沼という幻想的な沼がある。周りを山で囲まれた盆地形状にある沼。シーンと静まりかえり、音は微妙はズレをともなって反響する。異世界の雰囲気がたっぷりである。2年前、コナッキーという友人に連れられて行ったことがあったのだ。

 いよいよ雨足は強くなってくる。岩にかけた足が滑って、右太股の筋肉を痛めてしまい、一歩ごとに痛みを感じる。トボトボ歩き続け、五色沼にたどり着いた時だった。いきなりガスがたちこめ、足下あたりしか見えなくなってしまったのだ。

 あれ? 弥陀ヶ池へ行くルートはどっちだっけ? そう思って歩いてるうち、コースを外れてしまった。これはまずいぞ、と思ったら、急に血の気が引き、自分でもコントロールできない動きを始めてしまった。冒頭に書いたように、行ったり来たり、ブツブツ言いながら。

 その時、とっさに思ったのは、もしかしてこの場所で夜を迎えたら凍死するだろうなということ。ご覧の通り、300円の雨合羽の下は薄手のジャンパーと薄手のセーター。ボトムは夏用の登山パンツ。おまけに下着は汗でびっしょり。とても夜の寒さを耐えしのぐことはできないと思った。

 焦りまくったが、そのうちガスが晴れた。そして、もう一度沼に戻ると、地図を持った登山家に出会ったのである。その時の安堵感といったら言葉になりまへん。

 その後、足の痛みをこらえて下山すると、カズオ氏が待っていた。

「あと30分待っても降りて来なかったら、山岳会にいる友だちに頼んで捜索隊を出してもらおうかと思ってたんだよ」だと。

「おのれー、黙って下山したのは誰なんじゃ!」というようなことを言っても彼には「ぬかに釘」というか「のれんに腕押し」というか、まるで意味はないので、ただ笑って返したのである。

(081002 第70回)

 

 

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