ときどき無性に食べたくなる陳麻婆豆腐
前々掲、『扉を開けろ』の最後に、私なりのフランス料理文化論のようなものを書いたのだが、その中で「世界の料理の中で、日本料理とフランス料理が双璧だと思う」という記述がある。あくまでも私の主観だが、さまざまな要素を考慮しても、その結論は変わりそうもない。
そう聞くと、「中華料理はどうなんだ?」と言う人もいるだろう。
私は中華料理をあまり食べないが、もともと嫌いな食べ物はない。出されれば、喜んで食べる(ただし、添加物がたくさん混じったまがいものは別)。なんで中華にそそられないかと言えば、まずあの見た目である。茶色い物がゴチャ混ぜになっていて、どこから見ても美しくない。まあ、あの混沌がいいのだと言われればそれまでだが。
コースで食べると、味に変化がなく、一本調子に感じる。丸いテーブルを回しながら、めいめいが取り分けるというのも無粋だ。最近は、ヌーベルシノワと言って、洗練された中華料理のコースもあるが……。もとはと言えば、中国そのものに対する拒否感があるのかもしれない。
ただ、中華料理とフランス料理に共通するものは認める。食べることへの貪欲さだ。
本書にこう書いた。
——フランス料理の文化的背景を考えるとき、忘れてならないことがある。ヨーロッパの歴史はそのまま戦争の歴史ともいえるが、それによって培われた狩猟性である。フランス革命のとき、多くのパリ市民が、コンコルド広場で数千人もが処刑される様子を見物しながら食事をしていたということを聞けば、(略)。中世においては、処刑された罪人をフカのいる大きな水槽に投げ入れ、それを食べたフカを人間が食したというエピソードもある。——
その狩猟姓は中国人と重なるところがある。しばしば言われるように、中国人は「飛んでいるものは飛行機以外なんでも食べてしまう。四つ脚は机以外なんでも食べてしまう」人たちだ。
サルの脳みそを使った料理がある。まずアツアツにした鉄板の上にサルを座らせ、頭に血が上ったところで頭蓋骨を割り、脳みそを取り出すという。ツバメの巣は高級スープの素になるものだが、ありていに言えば、ツバメの涎(よだれ)ではないか。しかも、断崖絶壁を登って獲ってくるというのだから、その貪欲さには脱帽せざるをえない。
前置きが長くなってしまったが、ふだんあまり中華を食べない私だが、陳建一の「陳麻婆豆腐」は、ときどき無性に食べたくなる。ピリリと山椒の効いた、薬膳のような麻婆豆腐である。
ある時、陳建一氏がその料理を実演するところを間近で見たことがある。いくつもの大きな鉄鍋を自在に操り、多彩な香辛料を複雑に絡ませながら仕上げていくのを見て、体育会系の料理だと思った。静謐な日本料理とは対極にある。
良くも悪くも、あの底抜けのパワーが中国人の本質なのだろう。
(161220 第687回 写真は陳麻婆豆腐)