階段を昇ると、そこには天国があった
神戸で素晴らしいレストランに出会った。もちろん、引き合わせてくれたのは、小西忠禮氏(『扉を開けろ』の主人公)である。
三宮駅から歩いて5分ほどの場所に、その店はある。
名はスポンテニアス。
と聞くと、〝高久通〟(そんな人いるの?)は思うはず。「京都のスポンタネと関係があるの?」と。
京都のスポンタネのことは本欄でも書いたことがある。じつに由緒正しいフレンチで、私はこの店のオーナー、谷岡シェフの料理が大好きだ。
神戸のスポンテニアスと京都のスポンタネは関係はない。料理の方向性もかなり違う。
昨年の秋だった。取材の後、小西氏に案内された。
まず、入口が私好みだった。看板がないのだ。かろうじて目にしたのは、壁に描いた文字のみ(写真下参照)。つまり、「知っている人だけ来てくれればいい」というスタンスだ。こういう態度に私は弱い(この正反対が、店の近くでの呼び込み行為だ)。
ドアを開けるや、またしても私好みの空間がある。壁に鉛筆でなにやら英語の詩が書いてあるのだ(写真上)。少し読むと、馴染みのある言葉だということがわかる。レッド・ツェッペリンの『天国への階段』の歌詞である。レッド・ツェッペリンといえば、若い頃はさんざん聴いた。今でも『プレゼンス』は愛聴盤だ。白人が到達した最高峰のロックだという思いはずっと変わっていない。音というより物体ではないかと思うほどブツギリのリズムの連なり。そこになんとも肉食的なヴォーカルとアイデア満載のギターがからみ合う。もちろん、ヴォーカルはロバート・プラント、ギターはジミー・ペイジだ。さらに、ドラムの凄まじいこと! 亡きジョン・ボーナムの叩くリズムは永遠に残るだろう。ボーナムの死が、すなわちバンド解散につながったが、当然といえば当然のことだ。
と、レッド・ツェッペリンの話を書いているとしばらく終わらないから、元に戻そう。
階段を上がると(まさに天国への階段?)、2階にカウンター席のダイニングがある。銅板を使い、かなりスタイリッシュなインテリアだ。
初めて訪れたときはさらに階段を上がり、3階の個室へと案内された。
まさに「特別な」部屋である。
私は部屋の隅にオーディオセットを見つけ、つかつかと歩み寄った。レコードプレイヤーがあり、LPレコードが何十枚か立てかけてある。
一枚一枚めくってみて笑った。ロックあり、ジャズあり、クラシックあり。馴染みのジャケットばかりなのだ。
興味を示したヘンな客に興味を持ったのだろう。マネージャーが近づいてきて「どれかおかけしましょうか」と言う。
「では、これをお願いします」と言い、バッハの無伴奏チェロをかけてもらった。誰のだったかな? ロストロポーヴィチだったかな?
レコードで聴く無伴奏チェロは、一気に〝あの世〟へいざなってくれた。大きなスピーカーが紡ぐ音も豊かでメリハリがあった。
次いで、キース・ジャレットの『ケルン・コンサート』とツェッペリンの『ロックンロール』をかけてもらった。
会話を交わすうち、マネージャーの三木丸氏もかなりの音楽通だということがわかった。入口の『天国への階段』の歌詞も彼が書いたという。私が10代の終わり頃、武道館でジェフ・ベックとスタンリー・クラークの伝説の公演を聴いたと言ったら、いきなり握手を求められた。たしかにあの時の音は筆舌に尽くしがたいものだった。ジェフ・ベックのギターが空間を切り裂き、スタンリーのチョッパーはあたかもサンドバッグを叩くようで、ああ、このまま死んでもいいと思ったくらいだ。
と、またまたこんなことを書いていたら一日が終わってしまうので、このへんでやめよう。
さて、料理である。
ひとことでいえば、正統派フレンチではない。じゅうぶんにアヴァンギャルドであり、創作的であり、破調的である。
アミューズのCocaは前衛彫刻家の小品のようであり、Birth、Sea、Landはその名のとおり、誕生・海・土地をイメージした作品である。丸い石を器として使うあたり、青山のナリサワにも通ずる。
最後のデザートLes Mignardisesにいたってはまさに「扉を開けろ」的な演出で、拍手をしてしまった。
メイン料理の前にカトラリー(ナイフやフォーク、スプーンなど)を選ばせてくれるのも洗練された演出だ。三木丸氏お手製のカトラリーもあって、さらにビックリした。
そんなわけで、このスポンテニアスはミシュラン一つ星を獲得している。導入部の空間といい、インテリアといい、器といい、料理といい、そして上等な接遇といい、すべてが高いレベルで結実している。
ひとつ課題といえば、破調の宿命でもあるが、2度目に行った時の驚きは半減するということ。多くのリピーターを獲得するには、「不易流行」を考える必要があるだろう。
(170227 第703回 写真上はスポンテニアスの入口内部の壁。下は外壁のサイン)