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紺碧の将

武骨な花器と自由な生き方

2017.05.06

 なんとも武骨で大胆な花器である。

 銀座一穂堂から個展の案内が届き、図録を見た瞬間、「欲しい!」と思った。ここ十数年、あまりないことである。
 一穂堂は『Japanist』でも紹介した青野惠子さんが経営するギャラリーだ。

 青野さんはすごい目利きである。幼少の頃から本物を真剣に見続けてきた賜だろう。彼女と話をするたび、私との共通が多いことに気づき、今では互いに「きょうだい」を任じているほど。
 その青野さんの眼鏡に適った、と言いたいところだが、辻村塊さんはもともと料理人から支持されていて、確たる地歩を築いている。
 父親は辻村史朗氏。細川護煕氏が陶芸を始める時、師事した作家として知られている。なにものにも媚びず、へつらわずという姿勢を貫いている希有な作家だ。
 塊さんのお兄さんも陶芸をなりわいとしており、いわば辻村家は陶芸家一家なのである。

 

 塊さんが作陶で身を立てたいと言うと、史朗氏は「まず家とアトリエを自分で造れ」と命じたという。奈良の山奥、土地はふんだんにある。史朗氏も塊さんの兄もそうやって自力で家を造っている。
 といっても、塊さんに大工の技術や知識があるわけではない。それでも工夫しながら、家とアトリエを造ってしまった。写真を見せてもらったが、立派な平屋建ての建築である。
 塊さんの創作スタイルは、父と同様、自由そのものだ。
「焼き物と釣りしかやりません」との言葉通り、余計なことをしない。しかも、本業たる焼き物も注文は受け付けない。注文があると、「うちに来てもらえば、そのへんにたくさん作品がありますから、その中から適当に選んでください。もし、お目当てのものがなかったら、そのうち造るかも知れませんから、それまで待っていてください」と言うそうだ。
 世の陶芸家が聞いたら、地団駄踏むことだろう。30代前半で、早くもその境地だ。
 今回、私が買い求めた花器は、これまでの塊作品とははなはだ一線を画すものだ。なにやら岩の塊で、見ようによっては、「適当に土をこねて、そのまま窯に放り込んだら、こういう形になってしまった」というような感じである。しかも、あちこちヒビが割れている。
 しかし、私はその無造作ぶりが気に入ってしまったのだ。
 聞けば、そのヒビというより裂け目も、意図的に作っている。中に水が入る筒を入れることによって、裂け目ができるように意図されているのだ。
「神人共作ですね」と思わず、言った。
 そう、あるところまでは自分の創意で造り、それから後は自然(神)のなすまま、というスタイルである。その割り切りが潔い。剛胆である。
 この「伊賀花入」が自宅に届き、目下の楽しみは花を活けることだ。
 まっさきにヒマワリを活けた。たった一輪だけ。ゴツゴツの岩と黄色い花が鮮やかなコントラストをなしている。
 もともと水石があった場所にこの花器を置き、水石はダイニングテーブルの端に移動した。それだけで、部屋の風景が一変した。

 さて、塊さんは『Japanist』でも紹介する。まだ先のことだが、今年10月発行の号に掲載予定である。
「焼き物と釣りをやっていれば、満足なんです」
 力みもなく、そう言った。
 とくだん主義主張があるわけではない。ただ、好きなことだけをしたいのだ。
 いいな、その生き方。
(170506 第719回 写真は辻村塊氏作「伊賀花入」)

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