サクラ色のバラは祝いの使者
ついに半生記を生きた。若い頃は自分が50歳になるなんて、夢想だにしなかったのに、いざそうなってみると、30歳の時と50歳の時の違いはあまりわからない。
たしか、30歳の誕生日は、マニラのホテルで迎えた。セブ島へ社員旅行に行く途中、霧が深くなってマニラの空港に着陸し、そのまま薄汚れたホテルに連れていかれたのだった。あの時、天井のシミが作る「書」のような形を見ながら、これからの10年間で何ができるのだろうと思ったことがまざまざと甦る。莫大な借金をして社屋を造ったばかりの頃で、返済の数字に圧倒されながらも、これから起こるであろうことに思いを馳せていた。今思えば、その時の夢はあまりに小さかったので、やはり若かったのだろう。夢は歳とともに大きくなるはずだから。
ところで、今回の誕生日は多くの人にお祝いをしていただいた。あらためて幸せな男だと痛感した。
ということで、今回と次回は、私の誕生日にまつわるエピソードを披露したい。
4月7日、友人・知人たちが祝いの宴を開いてくれた。ホテル・オークラのバーで5本の蝋燭を吹き消すという、40代最後のひと仕事をした。
翌日の午後、宇都宮に戻り、出社した時だった。サクラ色のバラが出迎えてくれたのだ。桜の季節に50本のサクラ色のバラを送ってくれるセンスのいい人は誰だろうと思ったら、前日会ったばかりの人であった。
まるで事務所の中に咲いた桜のようだった。
外へ出て会社に戻るたび、「おめでとう」と言われているみたいで、歓びがずーっと続いている。
他に都内にお住まいの読者から白い花が届けられた。まだ一度も会ったことがないのに、私の誕生日を覚えていてくれたのだ。これも素敵なサプライズである。白い花は(たぶん)ジャーマンカモミールとユリ。ユリはまだ蕾だが、開けば白い姿であるはずだ。なぜなら拙著『多樂スパイラル』を読んで、知人の花屋さんにコーディネートしてもらったとメッセージに書いてあったからだ。その本の中で、私は白い花が好きだと書いている。
もちろん、白以外であっても、花のほとんどが好きだ。
以前、『fooga』の特集で紹介した建築家の隈研吾氏が次のようなことを書いている。
──花を詳細にながめればながめるほど、一つの確信が深まっていく。一輪の花に比べたら、建築の作り出す美など、とるに足りないという確信が。
やはりこの建築家は信用できる、と確信を抱いた。
隈氏が言う通り、花の精緻な美しさを眺めていたら、人間が創るものなどどれほどのものだろうと思わざるをえない。しかし、それでも美を追究して何かを創り続ける。それがまた人間の愛おしさなのだ。
(090414 第92回)