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紺碧の将

地方創生のヒントを示す、江戸の宿場町

2017.08.20

 登山の帰り、妻籠宿(つまごしゅく)へ行った。長野県と岐阜県の県境、木曽川の近くにある。周りは木曽の山、山、山……。江戸と京都を結ぶ中山道の宿場町で、江戸から数えて42番目だという。

 日本で初めて古い街並みを保存したとあって、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような感懐になった。

 ただ保存しているだけでなく、それらの建物を実際に使っているところがいい。例えば、三渓園に移築された建物は、たしかに一見の価値があるものばかりだが、生命のほとばしりを感じさせない。生きた建築物ではなくなっているからだ。

 しかし、妻籠宿に立ち並ぶ建物のほとんどが今も使われ、開放されている。これはスゴイことだ。民家、おみやげ屋、食事処、雑貨店、歴史的建造物……それらが一体となって宿場町を構成している。

 民家の縁側でトウモロコシのヒゲを取っていた初老のおじさんに話しかけた。

「代々、ここにお住まいなのですか」

「そう。この家は、和宮(かずのみや)が江戸へ降るときも宿として使われた歴史があるんだよ」

 そして、まるで観光ガイドのように説明を始めた。そういう歴史を誇りとしているのだろう。

 徳川将軍家と朝廷の政治的駆け引きによって、和宮が14代将軍・家茂に降家したのは文久元年。天候によって川留のある東海道を避け、一行は中山道を東進した。武家に嫁ぐ和宮の心境はどんなものだったろう。

 

 驚いたのは、雨天にもかかわらず外国人観光客がたくさんいたこと。しかも中国人や韓国人など、お決まりの人たちではない。大半が白人である。高野山へ行った時もそうだったが、「買い物観光」と「知的体験観光」では訪れる人の国籍がかなり異なる。日本を訪問する観光客は年々増える一方だが、その8割は東アジアなど近隣諸国。政府は米欧豪などからも増やそうと、新たな取り組みを始めたが、この宿場町にそのヒントがある。本気になって取り組めば、新たな観光資源をたくさんつくれるということ。なにしろ長い歴史をもつ国なのだから、観光コンテンツにはこと欠かない。地域文化の掘り起こし、地方創生など、いくつかの課題をいっぺんに解決する本質的な〝解〟ではないか。

(170820 第745回 写真上は妻籠宿、下は脇本陣の庭)

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