新国立競技場、本物の「杜」へ
2020年、東京オリンピック・パラリンピックのメイン会場となる新国立競技場の建設が進んでいる。約10メートル掘り下げた位置にフィールドを設け、最大8万人収容のスタンドをすり鉢状に配置という設計だ。
建築家。隈研吾氏によるもの。
私が隈氏を信頼するのは、「どうだ、まいったかぁ!」という、はったりのような建物を造らないこと。彼の著書にもあるように、彼の建築のコンセプトは「負ける建築」。「負ける」と書くと、なにやらマイナスのイメージを持つ人もいると思うが、建築物が環境を威圧しないという考え方は、自然と共生してきた日本人の心性に合っているし、時代の宿命でもある。
おそらく、「本物」であれば、アヴァンギャルドな建築物であっても、時間の経過とともに周囲と調和していくはず。ルーブル美術館のガラスのピラミッドしかり、ポンピドーセンターしかり、グッゲンハイム美術館しかり。しかし、斬新さを狙ったもので風化しないのは、ごく一部だ。大半は、時とともに、厚化粧したおばあさんが大量に汗をかいたような状態になる。
私たちの祖先は、素晴らしいお手本を示してくれた。そのひとつが、大正期につくられた明治神宮である。内苑は150年後を見据えて森づくりがなされた。当代きっての植物学者が綿密にプランを描き、全国から篤志として樹木を集め、代々木の湿地に植えた。その人たちのおかげで、私たちはあの森の恵みを享受することができる。
また、外苑はスポーツの聖地として、現代に受け継がれている。
今造っている競技場もその一角にある。敷地にはスダジイやケヤキを66,000本、他にツタなど234,000鉢も植えるという。それらが時の経過とともに「負ける建築」と調和していくプロセスを楽しみたい。歴史とはそういうものだろう。
ザハ・ハディド氏の案が撤回されて、ほんとうに良かったと思っている。
(170901 第748回 写真上は、仙寿庵交差点から見たイメージ図。下は工事中の風景)