情報の価値は下がりっぱなし
行きつけの美容室が代々木に移転した。オーナーの下地善之さんは、フランチャイジーとして西新宿の店を任され、グループ内ナンバーワンの指名件数を誇っていたが、ついに正真正銘の「一国一城の主」となり、「TAIKOKAN」という名を冠してスタートを切ったのである。若い時分、沖縄から出てきてその世界に入り、代々木に自身の城を構えることになった。これは立派なサクセスストーリーであろう。そのあたりの経緯は、本サイト「人の数だけ物語がある」にて、3月1日、紹介する予定だ。
さて、世の中の移り変わりを痛感する一幕があった。以前の店は美容台の前にカウンターがあり、雑誌がずらりと並んでいた。正直、手に取りたいものはほとんどなかったが、時々「プレジデント」を流し読みしていた。
新たにオープンした店に初めて訪れた時、下地さんがタブレットを持ってきて、「髙久さん、いまはこうなんですよ」と言う。
聞けば、dマガジンというもので、200以上の雑誌が読み放題なのだという。ま、200以上あるといっても、ほとんどが情報誌の類。私が読みたい雑誌は皆無に近い。しかし、月々400円+税という安さには驚いた。
要するに、情報の価値は限りなくゼロに近づいているということだ。これらの雑誌を作っている人たちも、価値がないということを認めざるをえないのだろう。それほど、世の中にはタダの情報が溢れかえっている。
私は確信した。誰もが知っている情報をどれほど仕入れても、その人の価値はまったく上がりはしない、と。むしろ、限られた時間をそれらに奪われることの弊害の方が大きい。
その代わり、ますます「智慧を磨く」ことが求められる世の中になった。それまでに蓄えた知識と新たないくつかの重要な情報をシャッフルし、自分の脳味噌と感性をフルに使って知見を磨く。こういった作業の果てに、他の誰のものでもない、確固とした独自の識見が生まれる。だから、私はそれを目指せばいいのだと確信を深めたのである。
子供の頃から人と同じことをするのが恥ずかしかった。今でも電車の中でスマホを見ることができない。恥ずかしいのだ。私がそれをしても、誰もなんとも思わないのはわかる。しかし、自分が自分を恥ずかしいのだ。みんなと一緒だということが。
みんなが「〜ので」を使うから、私は使わない。本来は「ので」を使うべきところなのに、他の言葉に置き換えてしまう自分がいる。いよいよオリンピックが始まってしまったから、「ので」がシャワーのように降ってくるだろう。その都度、いまは「ので」を使うべきところじゃないのに、またのでを使っているよ、と思ってしまう。言葉の伝染病だ。
ま、いいか。そんなこと。
というわけでした。智慧を磨きましょうね。
※下地さんのお店「TAIKOKAN」は男性専科。じつに居心地のいい空間である(渋谷区代々木2-26-2 2桑野ビル3階)。
※悩めるニンゲンたちに、名ネコ・うーにゃん先生が禅の手ほどきをする「うーにゃん先生流マインドフルネス」、連載中。
https://qiwacocoro.xsrv.jp/archives/category/%E9%80%A3%E8%BC%89/zengo
(180210 第788回 写真はTAIKOKANの室内)