熊本の可愛い桜
熊本の南阿蘇へ行ったついでに、有名な一心行の桜を見た。残念ながら、まだ蕾ではあったが、大勢の人を呼び寄せる桜を見るのは心地良いものだ。
日本三大桜と比べると、〝九州の横綱〟も可愛いものである。幹は細く、どっしりとした存在感に乏しい。人に格があるように、桜にも格があるはずだが、この桜はまっだ格を持つには至っていない。
付近にある立て札によれば、この桜は天正8(1580)年、島津氏との戦いで戦火に散った峯惟冬の菩提樹とされたという。
不思議だったのは、桜の背景にそびえる山の肌だ。下の写真のように、さほど高さのない山だが、樹木が生えていないのだ。地質の影響なのだろうか。セザンヌが好んで描いた故郷の山を彷彿とさせる、日本らしからぬ山であった。
私が最も好きな桜は、山梨県の山高神代桜。巨大な溶岩ともみまごうほど、異形の桜である。樹齢は1500年とも言われ、枝は杭に支えられている。それでも毎年可憐な花を咲かせる。もはやカミが憑依したとしか思えない。こういうとんでもない木の前に立つと、畏敬の念しか湧いてこない。歴史の生き証人は、この国で起きたことをずっと見てきたのである。
ところで、熊本の街路樹は、ほとんどが楠だった。神社の境内などでよく見られる、葉の生い茂る木である。聞けば、〝火の国〟はその名のとおり、夏の暑さが過酷らしく、葉陰をつくるために楠を選んだという。
※悩めるニンゲンたちに、名ネコ・うーにゃん先生が禅の手ほどきをする「うーにゃん先生流マインドフルネス」、連載中。今回は「自分のカラーを大切にする」。
https://qiwacocoro.xsrv.jp/archives/category/%E9%80%A3%E8%BC%89/zengo
(180326 第799回 写真上は一心行の桜、下はその背景にそびえる山)