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紺碧の将

「文末ので」ついに書き言葉に進出

2018.04.03

 かれこれ5年くらい前から、「〜ので」がはびこっているのを指摘してきた。とにかく、誰もが口を開けば「ので」。スポーツ選手や解説者、芸能人で「ので」を使わない人は珍しい。言葉は生き物だから、時代とともに変わっていくのは仕方ないとして、あまりにもはなはだしいので、気にしないではいられない。

 本来、「ので」は接続の助詞である。「AなのでB」というふうに、Bになる理由を述べる際に用いる。ところが、いつの間にか、特別な意味もなく「ので」が多用されるようになり、最近では「です」の替わりに「ので」をつける人もいる。先日会った20代の営業マンは、すべての言葉の最後に「ですので」をつけていた。100%の装着率である。

 そうこうするうち、ついに書き言葉にも「文末ので」が使われ始めた。右上写真の広告のコピー、「料理下手なパパでも、失敗しないので」を地下鉄のなかで見て、腰が抜けるほど驚いた。失敗しないので、のあとはなんなんだよ! と毒づきたくなった。

のでが多用される要因は、語彙が極端に貧しくなっているからだろう。

「うちのチームの特長はつなぐことだと思うので、それで勝ち進んでいければいいかな」は、まだいいとして、

本番前のインタビューで、「精一杯、滑るので」は、どう解釈すればいいかわからない。いきなり、「ので」でプツンと切れてしまうのだ。おそらく、本人は「精一杯、滑ります」と言いたいのだろう。

「文藝春秋」3月号で、数学者の藤原正彦氏が、こう書いている。小学校で英語教育を取り入れるという方針に異を唱えた「小学生に英語教えて国滅ぶ」より抜粋した。

「英語推進派は、小学校で英語を学んだ方が、発音が良くなるなどと主張していますが、英会話など、大人になってから学習しても、十分にできるようになります」

「何よりも大事なのは、英語をどう話すかより、英語で何を話すかということです」

「英語力の問題ではないのです。人間として教養があるかどうかが社会に出たら問われる」

「国語を身につけて本を読むことの一番の目的は、教養を育むこと。そして、もう一つの目的は感受性の涵養です」

 藤原さんは読解力の不足を憂いている。

 新聞に『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』という本の広告が掲載されていて、こういう内容が書かれていた。

 

 問題 次の文を読みなさい。

――幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた。

 

 上記の文が表す内容と以下の文が表す内容は同じか。「同じである」「異なる」のうちから答えなさい。

 

 1939年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた。

 

 こんな、人をバカにしたような問題なのに、中学生の4割が間違っているという。もはや、国語力の低下などというレベルではない。

 私は、それを象徴しているのが、「ので」の多用、もしくは「文末ので」にあると思っている。とにかく、適当に思いついたことを、「ので」でつないで喋っているだけ。文としてのつながりなど、いっさいおかまいなしだ。嘘だと思うなら、スポーツ番組の解説、ニュース番組などを聞いてみるといい。「ので」を使わない人がいたら、それだけで「素晴らしい!」と褒めたくなるほど、「ので」の洪水だ。

 じゃあ、どうすればいい?

 わからないので。

 おしまい。

 

※本日(4月3日)で、めでたくうーにゃんが19歳になった。人生100年、ネコ生30年時代の幕開けだぁ!

※悩めるニンゲンたちに、名ネコ・うーにゃん先生が禅の手ほどきをする「うーにゃん先生流マインドフルネス」、連載中。今回は「〝みんな同じ〟が平等ではない」。

https://qiwacocoro.xsrv.jp/archives/category/%E9%80%A3%E8%BC%89/zengo

(180403 第801回)

 

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