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紺碧の将

記憶するということ

2018.06.22

 この数年間、さまざまな禅語を覚えているということを何度も書いている。それだけ飽きもせず続いているということだ。現在、全部で424語。コーヒーを飲みながら、20本程度の禅語を書くのが楽しみのひとつである。

 先日、何か他のものを覚えようと思った。本棚に挿してある書物を眺めていたら、真っ先に目に飛び込んできたのが田口佳史先生の『老子道徳経講義』と多田一臣の『万葉集全解』。「老子」は81章、「万葉集」は4000首以上ある。迷った末、万葉集は老後の楽しみ?に残し、「老子」を選んだ。

 始めて3週間くらいになる。「體道第一」「養身第二」「安民第三」まできた。何度も諳んじ、記憶する。しかし、記憶というのは曖昧だ。それをはっきりと脳に刻むため、紙に書く。一字一句でも間違ったら、再度書き直し。そうやって真剣に覚える。

 これによって、新たな世界が広がったような気がする。言葉の微妙な言い回しの違いなど、ふだん何気なく見逃していることにも気づくようになった。なにより、「老子」の言いたいことが以前と比べものにならないくらいわかるようになった(気がする)。

 よく、人は言う。「歳をとると、物覚えが悪くなってねえ」と。

 あれは、嘘八百だ。自分に対する不信任決議だ。愚弄だ。逃避だ。

 脳は使えば使うほど活性化する。

 

※悩めるニンゲンたちに、名ネコ・うーにゃん先生が禅の手ほどきをする「うーにゃん先生流マインドフルネス」、連載中。今回は「過去と未来と現在、その向き合い方」。

https://qiwacocoro.xsrv.jp/archives/category/%E9%80%A3%E8%BC%89/zengo

(180622 第821回 記憶するということは、暗がりに明かりが灯るようなもの。例えば、東京駅のこんな感じ)

 

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