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紺碧の将

木村さんのリンゴ畑

2009.11.08

 木村秋則さんにどうしても会いたくて、弘前までクルマで行った。宇都宮から高速道路で7時間弱。青森は遠い。木村さんとは『奇跡のリンゴ』の、あの前歯の欠けたリンゴ農家である。

 手がかりは住所のみ。『Japanit』第3号でご紹介した上甲晃氏が青年塾の研修で木村さんを訪ねたことがあるというので、住所だけお聞きしていた。電話は何の役にもたたないと言われていた。運を信じて突撃することにした。

 木村さん宅を探し当てた時、ちょうど奥様が外出する直前だった。木村さんは講演で不在だとのこと。

 私は不躾・無礼を承知ながら、リンゴ畑を見せていただきたいと申し出ると、「もうすぐ出ないと間に合わないのだが」と言いながらも丁寧に地図を書いてくれた。

 

 聞きしにまさる光景だった。木村さんの畑のリンゴは、普通のリンゴと姿形がかなりちがっていた。例えて言えば、内股・キティーちゃんストラップ・ピンク服・草食系の男子と南蛮人をなぎ倒す力道山(古い?)くらいちがう。なにしろ、幹はべらぼうに太く、葉っぱは普通のリンゴの木の倍ほどもあり、枝は重力に逆らい、空に向かってまっしぐらに屹立している(写真参照)。土の中はもっと凄まじいという。普通のリンゴの根は張り出した枝の端から端までの長さらしいが、木村さんのそれは約30メートルも伸びているという。

 木村さんは通常、雑草も伸ばし放題だが、秋に1回だけ草刈りをする。秋がきたことをリンゴの木に知らせないとリンゴは赤くならないそうだ。土がいつまでも暖かいからだろう。ちょうど私が行った時は下草を刈った後だった。

 喉がなるほど木村さんのリンゴを食べたいと思ったが、まさか勝手にもぎとるわけにはいかない。それは次回の楽しみとしよう。

 

 木村さんの夢が実現するまでに11年の歳月を要している。その間、収入は激減し、家族を飢えさせた。いよいよダメ、死ぬ以外にないと覚悟をきめ、ロープを持って岩木山に登った時、ヒントを得たことで大きく好転する。

 竈(かまど)消し(=家族を養えない、生活能力がない)だのバカだのアホだのと悪態をつかれ、近所の人たちに道ばたで会っても無視され続けてきた木村さんの心中はいかばかりだったろう。

 私はなぜ、木村さんが11年間も我慢できたのか、不思議でならなかった。何かしら成功するという確信がなければ途中でくじけてしまうはずだ。それまでリンゴを無農薬で栽培することは不可能だと言われていたし、現に、リンゴの木はどんどん枯れていった。しかも、自分だけが苦労するのならともかく、家族もどん底の極貧に追いやってしまっている。

 しかし、『すべては宇宙の采配』を読んで合点がいった。木村さんは高校時代、龍と出会い、あるメッセージを託されていたのだ。その内容は、田口佳史氏と同じで黙契であるため、口外することはまかりならんということになっているらしいが。

 私はそういう現象とまったく無縁の男だが、そういうことがあるということは信じている。なにしろ、この世をすべてわかったつもりでいる人間だが、その実、ほんとうはごくごく少ししかわかっていないのだ。その証拠に、大事をなしとげた人の大半は、目に見えない力の存在を強く主張する。そういう力に守られたのだ、と。

 納得がいく。

(091108 第126回))

 

 

 

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