ローソクタイムで陰翳礼讃
一ヶ月くらい前からある試みをしている。名づけて「ローソクタイム」。夜9時頃、1枚のCDを選び、リビングの照明をすべて落とし、ローソク1本だけ明かりを灯して音楽を聴くのである。なにを聴くのかはその時の気分次第。なにも求めない。聴きながらその日を振り返ることもあれば、次の日のことを考える場合もある。書きかけの文章のアイデアが湧く場合もあれば、うーにゃんのように「無」の境地にいる場合もある。
これでわかったことは、視覚が遮られるほど、他の感覚器官が研ぎ澄まされるということ。そんなことは当たり前ともいえるが、実行するまで腑に落ちてはいなかった。
心のままに音楽を選ぶと、大半はクラシックの室内楽になる。眠る前にロックもないだろうし、壮大な交響曲でもない。ジャズでは当たり前すぎる。当然の帰結として室内楽になるのである。明かりがない分、耳が冴えてくるため、演奏者の表現の違いがわかるようになる。ちなみに昨夜は、ラフマニノフとフランクのチェロ・ソナタ(※フランクはもともとヴァイオリン・ソナタ)、チェリストはスティーヴン・イッサーリス。全部聴くと1時間半近い。ゆっくりゆったり、きわめてていねいに表現しているのが如実にわかった(その分、ダイナミックさには欠けるが)。
それにしても、暗闇に揺れる炎を見ると、どうしてこうも安らぎを覚えるのだろう。微妙な空気の流れを受け、いっときもじっとしていない。おそらく太古の記憶が遺伝子に潜んでいるのだろう。なんともいえない懐かしさを覚えるのだ。
いつの時代からか、蛍光灯が席巻し、夜の闇を駆逐した。それとともに失ったものは少なくないと思っている。
※悩めるニンゲンたちに、名ネコ・うーにゃん先生が禅の手ほどきをする「うーにゃん先生流マインドフルネス」連載中。 第29話は「いいことは時間をかけないと広がらない」。
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(181002 第846回 写真上はローソクタイムのワンシーン。大きなローソクを使う場合もある。下は石川県山中での取材で泊まった宿の窓からの夜景。闇にこぼれた光が妖艶だった)