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紺碧の将

本質的思考法の集大成

2019.01.21

 

「万が一のことがあっても、心おきなくあの世へいける」

 それくらいの一区切り感がある。少しオーバーにいえば、これまでの約60年間の人生で培った自分なりの本質的思考法のほとんどをこの本に集約できた。それが、『葉っぱは見えるが根っこは見えない』。取材もの、監修もの、聞き書きを含めると、15冊目の本となる。

 仕事、お金、学び、健康、家族、自然、芸術、社会などを切り口に全部で81章。それぞれ約2,400字(本にして各4ページ)、すべて同じ行数に揃えている。各章最後の行で揃っているため、左ページ端に余白がない。新たに書いたものもあれば、ブログや『Japanist』で書いてきたことに手を加えたものもある。

 装丁にもこだわった。このあたりはデザイン畑の人間の本領発揮。表紙は全面に日本画家・石村雅幸氏の『刻』を用い、タイトルと著者名だけの白いカバーは縦寸法を短くして上3分の1ほど絵が見えるように細工した。黒地の帯は白い表紙の半分の高さに。帯とカバーをはずせば、クスノキの大樹の重量感ある根本と豪快な幹が露わになる。見返しと扉は地中をイメージし、全面黒地にした。

 裏表紙側の帯にこう記している。

 

30数年、朝起きて今日は嫌だと思ったことがない

30数年、病気で休んだことがない。健康法は自分で確立する

お金は空気のごとく意識しない。その基は自分に合った仕事の確立

学びは究極の道楽。学び続けることが好循環の始まり

人生は「人の編集」。その要点は選別と利他

還暦は人生の折り返し点。後半にこそ醍醐味がある

人にはふたつの住所がある。実際に住んでいる所と人間関係の住所

 

 どれも私が痛烈に意識していることだ。

 もともと人様に自慢できるような人間ではない。持っている資格は自動車の普通免許だけ。学歴は無きに等しい。協調性や忍耐力は明らかに並み以下。すぐれた体力や話術があるわけでもない。条件的には〝ないないづくし〟に近い。それなのに、不思議なくらい充実した人生をおくっている。その日なにをするのも自由。やりたいことをやり、会いたい人に会っている。不自由きわまりない社会において(いつの時代も不自由きわまりないのだが)、こうまで自由でいいのかと申し訳なく思ってしまうほど自由の身である。

 つらつら考え、どうしてそうなのかを書いた。といっても、そう難しいことではない。表面的・一時的・末梢的ではなく、本質的・根源的・継続的かどうか。浅薄な世相を横目に、ただその一事を大切にしてきた。

 私が見るに、世の多くの人は枝葉ばかりに関心を向けている。

 たしかに葉っぱも大事だ。植物の本分である光合成を行う部分なのだから。しかし、それだけでは長く生きていくことはできない。根がしっかり地に張っていなければ、やがて無理が生じて少しずつバランスを欠いていく。バランスを失えば、あちこちに破綻が生じる。現代人は便利さばかりに心を奪われて、なんでも手っ取り早く得ようとし、結果的に〝みんな同じ〟状態に陥り、苦しげに生きている人が多い(と映る)。そういう姿を見ながら、「もっと本質を見ればいいのに。そうすれば、うまくいくようにできているのだから」と思う。そのような視点で81章を書いた。現時点で、私の総決算ともいえる。

 

『葉っぱは見えるが根っこは見えない』は弊社のサイトからオーダーできます。

(190121 第873回)

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