徳川家康墓所
日光東照宮は、私が最も好きな場所のひとつである。思い立つと車を飛ばし、気がつくと杉木立の中を歩いているということが時々ある。
日本人は坪庭など、こじんまりとした風景を好むが、東照宮は途方もない大胆さと繊細さが同居した稀有な場所。古今東西、300年近くの長きにわたって平和が続いた例はほとんどないが、それを可能にした徳川家康の広大なビジョンと緻密な理念が集約された場所が日光東照宮でもある。
『Japanist』創刊号にも、日光東照宮こそ家康のマニフェストという記事が掲載されているが、まさに平和への異常なまでのこだわりを形にしたものである。
明治政府の功罪は多々あるが、「罪」の最たるものは、廃仏毀釈と徳川否定だろう。後者には教育や芸術や徳川が遺した遺産なども含まれる。
そのやり玉にあがったのが、日光東照宮だ。日本文化にまったく疎いブルーノ・タウトの言葉を抽出し、拡大解釈させ、「桂離宮はいいが日光東照宮はダメ」という一外国人の評価を定着させてしまった。恣意的であったということは言うまでもない。たしかに桂離宮は美しいし、日本人の繊細な情感が凝縮されているが、所詮、個人の別荘で、世の中との接点はない。それはそれでいいが、それまでのものだ。私は自分の趣味だけに没頭するオジサンがあまり好きではないが、そういうことと似ている。
ところが、東照宮はどうか。なぜ、徳川政権があれほど続き、戦乱がなかったのか、その広大な社会システムの理念は、東照宮をつぶさに見ればおのずとわかる。しかし、日本人は歴史を感情で見るから、未だに「日本人は悪いことをした」「明治以降は戦争の歴史だ」「徳川幕府は自分たちで権力を独占した」などと近視眼的かつ感情的にしか物事をとらえることができない。鳩山首相の歴史観も、残念ながらペラペラの紙のように薄っぺらだが、それは私たち国民の不幸でもある。
家康は今でも憎まれ役だ。昨年の『天地人』の家康像は多くの日本人が抱く家康像でもあるだろう。
その家康が、東照宮の奧宮に眠っている。国宝・眠り猫がある門をくぐり、200段登ると、墓所がある(写真右上)。八角九段の碁盤の上に立つ宝塔は、当初木製だったが、5代将軍・綱吉が唐銅にしたらしい。唐銅とは金・銀・銅の合金である。心なしか、周りの空気は清浄で、ほどよい緊張感がある。高いところから今でも世の中全体を見渡している感がある。
ちなみに、眠り猫の反対側には雀が地上で遊んでいる。戦争がない世の中を端的に表現していることは言うまでもない。
なぜ、この国がこれほど繁栄し、今、私たちは幸せに暮らすことがことができるのか。そういうことをもう一度きちんと考え、偉人たちを顕彰することが国民の責務であると再認識すべき時ではないだろうか。
(100117 第144)