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紺碧の将

ロックに力があった頃の『ボヘミアン・ラプソディ』

2019.02.19

 クイーンのヴォーカリスト、フレディ・マーキュリーを主人公として描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』が大変な人気だ。ふだん、ロックに関心のない人を含め、何度も観ている人がたくさんいるようだ。基本的に天の邪鬼の私だが、「どれどれ、ほんとうにいい映画なのかね」という冷やかし半分の気持ちで映画館に足を運んだ。

 ところが……、

「たしかに、すごい!」

 なんといっても、サウンドがいい。IMAX装備のシアターで観たのだが、本物のライブ演奏と比べ、遜色ないくらい迫力のあるサウンド。物語の良し悪しより、全身を通してすべての感覚器官がビンビン感じて動いた。感じて動く、つまり「感動」である。老若男女を問わず圧倒されるのがわかる。人は理屈抜きの感動を求める。

 私はロックミュージックを栄養源にして大きくなったような人間だ。70年代はじめからリアルタイムでロックを聴き続けた。まさにロックの黄金期といっていい。とはいえ、今のように豊富な情報源はない。少ない情報源を頼りに、さまざまなアーティストを貪り求めた。

「全米トップ40」というラジオ番組があった。「ビルボード」誌チャートのトップ40をケーシー・ケイスンというDJが紹介する番組だ。私は毎週土曜日の夜10時から3時間、ラジオ関東にチューニングを合わせ、ラジオにかじりついていた。英語のヒアリングの訓練にもなったし、なにより「とんでもない連中」の「とんでもない新作」をずっとリアルタイムで聴くことができた。当時は空前のフォークブーム。歌謡曲やフォークに熱中している同級生たちと話が合わなくなるのは当然のこと。

 その番組を聴き始めた頃、クイーンの『ボヘミアン・ラプソディ』がチャートを賑わしていた。ほとんどの曲はチャートを上ったあと、順位を下げていくが、その曲だけは毎週10位前後で変わらない。しかも、ほかの曲とはまったく趣を異にする。タイトルのように、オペラティックで複雑な構成の曲だ。明らかに特異な作品だった。

 ちなみに、当時のアルバムチャートは今思い返しても、興奮ものだ。ローリング・ストーンズの『ブラック・アンド・ブルー』、レッド・ツェッペリンの『プレゼンス』、ボブ・ディランの『欲望』、ポール・サイモンの『時の流れに』、スティーヴィー・ワンダーの『ソングス・イン・ザ・キー・オブ・ライフ』、ポール・マッカートニー&ウィングスの『ヴィーナス・アンド・マース』、フリート・ウッドマックの『噂』、イーグルスの『グレイテスト・ヒッツ』、エルトン・ジョンの『ロック・オブ・ザ・ウエスティーズ』などが週替りで頂点に立つ。どれもが、血が逆流するほどの大感動を与えてくれた。サウンドが全身の毛穴から侵入してきて、自分という人間のすべての細胞を揺り動かした。

 その後、ロック・シーンはパンク・ロックやニュー・ウェイブ、そして第三世界へとつながっていく。

 そういうなかにあって、クイーンの立ち位置は微妙だった。サウンド作りもヴォーカルも文句なし。自己模倣に堕すことなく、立体的で斬新な曲づくりに徹していた。私も『オペラ座の夜』を聴きまくった。

 しかし、フレディには抵抗感があった。コスチュームがあまりにゲテモノっぽいうえ、女の子がキャーキャー騒いでいるのを見ては、「こういうバンドに溺れてはいけない」と警戒した。もちろん、今思えば、くだらない警戒心である。それでもクイーンの理解者だったとは思う。フレディの歌唱力や自作のギターで独特の〝キュン〟とした音を奏でるブライアン・メイは魅力的だった。

 数年後、さらに驚いたのは、「ウィー・ウィル・ロック・ユー」の独特のリズムだ。リンダ・ロンシュタットがその曲を子守唄集に加えた時はもっと驚いたが。アレンジによってはなんでも子守唄になってしまうということがわかった。

 クイーン……。今後も、ある一定の時をおいてリバイバルブームを起こすのだろう。そういう底力を秘めている稀有なバンドである。

 フレディ・マーキュリー、たしかにクセの強い人物である。しかし、パクチーやブルーチーズなどと同じように、一度その〝味〟を覚えたら、やみつきになるのは必至だ。

(190211 第879回)

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