自然再生エネルギーという名の欺瞞
山梨県甲府市から北杜市にかけてのエリアは好きなところである。どこを見ても立派な、高い山が聳えている。甲斐駒ケ岳、北岳などの南アルプスや富士山、そして八ヶ岳が空の一部を遮るように鎮座しているのだ。その威容は筆舌に尽くしがたい。松本市もそうだが、そういうところにはなんらかの力が渦巻いていると思う。事実、松本も甲府も人口は少ないのに、文化レベルが非常に高い。日本では数少ない、歩いて楽しい街だ。
ところが、最近残念なことがある。太陽光パネルが増えていることだ。これは全国的な傾向なのだろう。「自然再生エネルギー」という欺瞞に満ちた言葉によって、あたかも「いいこと」のような印象を与えるが、その場所は緩慢に死んでいく。パネルが空き地や山肌にずらりと並ぶ様子は不気味さを通り越して、病的でさえある。
地主には「土地の有効活用」と説得するのだろう。使っていない土地を提供すれば毎年なにがしかの現金を得られると聞いて、地主は簡単に土地を提供してしまう。
東日本大震災の原発事故以降、自然再生エネルギーがやけにのさばっている。本来は、自然破壊エネルギーなのに。人々の意識には「自然再生エネルギー」=善、原発=悪という図式があるようだが、両方とも悪だという認識をもつ必要がある。もちろん、火力エネルギーも。
取り組むべきは、いかにしてエネルギー消費を減らすか、であろう。それをまったくしないで、活路を自然再生エネルギーという名の自然破壊エネルギーに求めるのは傲慢というもの。
もっとも、人間はずっと傲慢な振る舞いをしてきた。かく言う私も傲慢な振る舞いをしなければ生きていくことができない。つまり、人間がこんなにたくさん存在していること自体がすでに不自然なのだ。この不自然な状況は年ごとに、いや日ごとに増大し、バランスを欠いている。問題はそのツケをいつまで先延ばしできるかだ。
革命的な政策によって大幅にエネルギー消費を抑え、化石燃料の使用を減らしながら原発の安全性を高め、と同時に新たなエネルギー源を探す(ないと思うが)、それがリアリズムだと思うが、今こんなことを言おうものなら袋叩きに遭うだろう。経済は大幅に減速して失業者が増えるのは必至だからだ。あえて火中の栗を拾う人などいない。そういうことが言える、勇気のある政治家はいないものか。
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(190418 第893回 写真は山梨県北杜市の風景)