金山開発に見る、殖産興業・富国強兵
前回書いた下部温泉郷の入り口に「湯の奥金山博物館」がある。甲州金の採掘に関する諸々が展示されている。砂金採り体験もできる。
見ながら、なるほどと思ったことがいくつもある。経済力がなければ戦争に勝てないのは昔も今も同じ。甲斐は農地が少ないため、コメの産出量が少ない。海がないため、交易も滞る。そのような逆境にあって、武田信玄は金をもって殖産興業・富国強兵にあてがったのだ。
父・信虎の悪政に嫌気が差し、一度国外に逃れた武将たちから帰参したいと申し出あったとき、若き晴信(信玄)は「諸国をまわり、武田家にとって有益な土産物を持ってくるならば」と突き返した。すぐに家来にするより、その方が有益だと考えた。
数年後、そのなかの一人、今井兵部が3人の金山師を連れてきた。諸国の山々をめぐっては金槌で岩を叩き、鉱山を発見することを生業とする男、鉱山が見つかるや測量・縄張り・坑道の掘削などを行う振矩師(ふりぐし)、金を含んだ石から金を抽出する技師の3人である。晴信は大いに喜び、金山開発を奨励する。
金を抽出するには、灰吹き法という手法を用いる。石を砕いてすり潰し、水にさらして石と石でない物を分け、焼いた後、鉛の湯に入れる。一度、金と鉛が付着するが、灰で鉛を吸い取らせて、金を選り分けるのである。そのすべてが重労働である。
「仇は敵なり」と言っていた信玄だが、一度、降伏し、許した者が反旗を翻した場合は容赦しなかった。男は金鉱労働者として重労働をさせ、女は金鉱労働者の慰み者、子供は奴(やっこ=奴隷)にした。
信玄は豊富な甲州金を軍資金として、戦国有数の大名へのしあがっていく。また、金鉱労働者は坑道を掘削する術に長けていることから、戦の際、「モグラ隊」として敵の城の水脈を断ち切るなど、さまざまに活用していた。人の使い方がうまかったのだ。
ところで、これまでに人類が採掘してきた金の総量は約18万トン、まだ採掘されていない埋蔵量は約5万トンと考えられていると、あるサイトにあった。
そんなに地下を掘りたがる生き物は、モグラと人間しかいない。
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(190502 第897回 写真上は甲州金、下は磨り臼)