最後の『fooga』
最後の『fooga』がもうすぐ完成する。
その最後のページに、私はこう書いた。
──『fooga』とは、いったい何だったのだろうか。そう、考えることがある。
私なりの答えは、「見えない集会場」。その空間では芸術談義あり、趣味の話あり、政治議論あり、歴史談義あり……。要するに「なんでもアリ」だ。
しかし、その空間は、ある人たちにはまったく無用の物である。どの店が美味しいとか何が流行っているとか誰と誰がくっついた・離れただとか誰が不幸な目に遭っている……などといった種類の情報を欲しがっている人たち(じつはそういう人の方が圧倒的に多いのだが)にとって、『fooga』など、そもそも視界に入っていないだろう。
しかし、ある人たちにとっては、とても有用な集会場であった、という自負がある。
はからずも、本誌の中で、原伸介氏がこう表現してくれた。
──酔狂者に呼応し、共感し、あるいはその熱に感化されて『fooga』という名の「居心地のよい緊張感」に集まる人間は着実に増えていった──。
そう、『fooga』は見えない接着剤でもあったのだと思う。
本誌に関わった方にはいくつかの共通項がある。それをあえて説明することはしないが、要するに、プラスの波動を発しているということ。
さて、この雑誌の恩恵を最も多く受けたのは、編集責任者である私であろう。なにより、言葉には表せないほど素敵な出会いをたくさんいただいた。広告の企画・制作だけに専念していた方が楽だったはずだが、そういう出会いはけっして得られなかっただろう。
とりわけ、生まれて初めて、人生の師にめぐり合えたことは僥倖以外の何ものでもない。
「この人は自分の先生だ!」お会いした瞬間にそう思った。そして、その後、講義を受けさせていただくことになった。そのたび、学びとはこれほどスリリングで、愉しいものなのか! と驚かされることになる。そう、本来、学びとは人間にとって最高の遊びであり、究極の贅沢なのだ。
その田口佳史先生から、身の震えるような思いのする、ありがたいメッセージをいただいた。
この文章だけで、8年間の発行は無駄ではなく、有意義だったと確信を抱けるようになった。
今までずっと愛読していただいた読者の方々をはじめ、取材を受けて本誌に登場してくれた方々、毎号素晴らしい原稿を寄せてくれた執筆者の方々、毎号ハートのこもった写真を撮り続けてくれた渡辺幸宏氏、そして陰に日向に支援してくれたサポーターの皆様、ほんとうにありがとうございました──。
というあとがきであった。
ひとつの役割を果たした、という充足感がある。
これをどう生かすかは、もちろん、自分次第だ。大きく変わっていく日本の中で、どのようなことができるのか、考え、行動したい。
(100320 第156 写真は『fooga』第92号の表紙)