『加那』と『マーヤの短いラプソディ』
フーガブックスより2冊の本を刊行した。
ひとつは浜城勉著『加那』、もうひとつは藤原万耶著『マーヤの短いラプソディ』。前者は弊社初の小説、初の文庫サイズである。後者は『fooga』や『Japanist』で名脇役として軽妙洒脱な原稿を寄せていただいた藤原万耶さんの作品をまとめたもので、前半は絶版になっていた『恋するマーヤ』を、後半は『Japanist』に連載した「旅するマーヤ」を収めている。挿絵はもちろん、万耶さんの妹・米倉万美さんである。
『加那』の解説として私は次のような文を寄せた。
――みずみずしい感性が紡ぐ、現代の聖女伝説
知人の紹介で、本書の原稿を読む機会を与えられた。沖縄県の北西に位置する伊平屋島に伝わる貞女伝説をベースに、作者が新たな生命を吹き込んだ〝現代の聖女物語〟である。
結婚して半年後、漁に出たまま戻らない夫・太郎の帰りを、加那はひたすら待ち続ける。帰還は不可能と、太郎の友人たちが再婚の申し込みをするが、加那の決意は固い。身の危険を案じ、神隠しを装い、泉が湧き出る不思議な岩の近くで、孤独に耐えながら待ち続ける。
一途に、清澄な心を保ち続けるという設定にいささかの不自然さも感じさせない。〝七公三民〟という過酷な施政下にあって、なお逞しく生きる島民の描写もみずみずしく、彼らの息づかいまで聞こえてくるようだ。
驚くことに、作者が60歳のときの作品である。地元の議員も務めたことがあるというが、いったいどのようにして、これほどピュアな感性を保ち続けることができたのだろうか。人心がますます殺伐としていく現代において、このような 物語を紡ぐことができたこと自体、奇跡である。
この作品を埋もれさせてはいけないと思った。この作品は文化遺産として後世に残すべきだ、と。
この物語が編まれて、ちょうど20年経過した今、小さな書物にできることの意義と幸せをかみしめている。
沖縄の離島に伝わる聖女伝説は地球の裏側にまで伝わっていると著者はあとがきで書いている。ますます殺伐としていく現代において、この作品を読む意義は深い。
https://www.compass-point.jp/book/kana.html
『マーヤの短いラプソディ』を紹介するコピーで、私はこう書いている。
――外は冷たいのに、中は温かい。すごく苦いのに、甘みが残る。
クールでシニカル、世の中をバッサバッサと一刀両断するマーヤ。
なのに、読後感がこんなに爽やかなのはなぜだろう?
まさにその通りである。同じ「もの書き」の一人として、万耶さんの文体はとても魅力的だ。父・鯛山譲りともいえるし、欧米の文学に通ずる「乾いた、風通しの良さ」がある。ジメジメした文体が苦手な私と相性がいいのは当然だ。
https://www.compass-point.jp/book/maya3.html
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(190726 第919回)