ザンネンな野口英世記念館
小学生の頃、野口英世の生家を訪れたことがある。そのときの記憶とあまりにもかけ離れた光景に驚いてしまった。
昔は、あばら家がぽつんとあるだけだった。かなり貧しい生活だったことは、一目瞭然だった。しかし、その侘しい住まいが、私の想像力をかきたてた。ここで野口英世はどんな少年時代をおくったのだろう? 母シカさんとどんな会話を交わしたのだろう? 想念は無限に広がった。
しかし、現在の生家から感じるものはほとんどない。巨大な雨よけが生家を覆っているし、前の庭は石板が敷き詰められている。
興ざめだ!
フェイクだ!
たしかに、隣の野口英世記念館はよくできている。野口英世がどのような研究をしたのか、詳しく知ることができる。母シカさんが英世に宛てた手紙をはじめ、見たいものが満載だ。
しかし、である。頭で理解するのと、心で感じることは別ものだ。少年時代の私が想像をかきたてられたように、その地に立って思いを馳せることができるかどうか。残念ながら、今保存されている生家を見ても、子供の頃の野口英世を想像することはできない。作り物だからだ。
いったい、だれがこういう内容にしようと指揮をしたのか。おそらく、想像力のかけらもない人にちがいない。記念館はいいとして、肝心の生家は台無しだ。死んでしまっている。
地元の偉人を顕彰するのなら、もっと方法があったはずだ。かえすがえすも残念でならない。「うーむ」と言ったきり、腕を組む髙久であった。
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(191011 第938回 写真上は野口英世生家、下は囲炉裏)