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紺碧の将

首里城が焼けてしまった

2019.11.04

 なんということだろう。言葉もない。一夜にして首里城が焼けてしまった。

 一昨年の11月、レンタカーで沖縄本島を一周し、最後に訪れたのが首里城だった。眼下に那覇の市街地を見下ろし、威風があった。いにしえの時代から、城は〝国見〟の役割を果たすところでもある。時には過酷な施政をしくこともあるが、王国には欠かせないアイテムである。

 首里城の写真を探したが、ほとんどない。唯一残っていたのが、右の玉座だ。琉球王が座った椅子。これも焼けてしまったらしい。なぜ、ほかの写真がなかったかといえば、いいショットを撮れるアングルが確保できなかったからだ。いろいろ迷ったあげく、あきらめたことを覚えている。

 形あるものは、いずれ朽ち果てる。世のならいである。命のように目に見えないものも同じ。この世に存在するものは、すべて消えてなくなり、新たなものが継いでいくという大いなる循環によって、大宇宙は維持されている。人類がつくった文化遺産も、やがては消え失せる。

 なくなると見たくなるのが人間の心情。たとえば、フォーレの交響曲は戦災で譜面が消失し、われわれはけっして聴くことができない。そうなると、是が非でも聴きたくなってくる。人間とはなんとも厄介な生き物である。

 死んでしまった生き物もそうだ。ときどき、無性にうーにゃんに会いたくなる。だから、今をともに生きる、身近な人たちを大事にせねばならないと強く思う。「ともに生きている人たちを大切にしてあげて」とうーにゃんがエラそうに言ってくる。

 

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